「じゃあ、俺と結婚してみる?」

この一言から私たちの結婚準備、もとい交際が始まった。このとき互いに恋愛感情はなく、『この人となら“結婚”をやっていけそうだな』という見定めだった。

特定の人と生活を共有したり支い合える関係を築いてみたい

いま私は、結婚とはステータスではなく、自分の人生を精神的、経済的に豊かにするためのものと思っている。
それから、必ずしも恋愛感情から辿る結果でなくていいと思っている。

彼と私は同じ大学、同じサークルの、先輩後輩の関係だった。しかし在学中にはほとんど交わることなく、なんなら互いに気になる存在がいて、まったくそっち方面で無関心のまま卒業した。
ひとつ残っているとしたら、彼がとても真摯に後輩や他人の話を聞ける人だなぁと思っていたくらいである。
しかも卒業後私は、地元から遠く離れた場所で生活しており、地元に残った彼とは連絡もとっていなかった。

しかし、年齢を追うごとに周囲に増える結婚報告に妬ましく寂しい気持ちを持つのに、告白されても乗り気になれず断り続け、一度付き合ってはみたもののうまくいかない。
そしてふと気づいた。

恋愛ではなく、結婚を、してみたい。
駆け引きはせず、特定の人と生活を共有したり支い合える関係を築いてみたい。

彼氏彼女というよりも、互いに理想の結婚生活を目指すパートナー


年末の帰省時、思い立って彼を誘ってみた。
すでに“結婚”という目的があるので、共同生活のしやすそうな人という視点で選んだ。
ストレートに話すと彼は「俺も結婚はしてみたい」という。
そこから話は早かった。
互いにすでに知っている存在だったというのもたぶん大きい。

いま彼とは1年ほど同棲しているが、これも、結婚後に同居して決裂するほど合わない部分がないかということを見定めるための同棲である。結果は問題なし。
互いに最初から結婚を想定しての交際なので、取り繕うものもなく、家事分担や貯蓄、暮らしぶり、子どもがほしいか、苗字はどうするか、家族は…などあけすけに話し合い、どういう風に合わせていくか打ち合わせた。
家事については特に、これはしてほしい、これは私がする、と話し合いをし、苗字についても互いが納得するまで話し合った。

我々は、互いに理想の結婚生活を目指すパートナーである。

そういう意識が強くあった。彼氏彼女とかそういう以上に。
ともに生活を営み、経済的にも精神的にも支え合って、より自分の毎日を楽しくするためのパートナーなのであると。

恋愛の延長としての結婚、というような風潮には違和感がある

だからこそ、気をつけていることがある。
たとえ分担を決めた家事でも、してくれたら「ありがとう」。
自分が悪いなと思ったら素直に「ごめん」。
我々は他人で、パートナーなのだ。
ありがとうも、ごめんねも、してほしいことも、してほしくないことも、伝えなければ伝わらないのだ。
だから、丁寧に伝える。伝わるように伝える。
協力すべきパートナーだから。

たまにSNSで見かける配偶者の愚痴とか、夫が家事しない問題とか、妻がしんどいときに無能な夫への怒りとか見ると、恋人とパートナーは似たような存在に思えるけどそうじゃないなと改めて思う。
これはしてほしい、してほしくないと、相手にはっきり言える関係でないとしんどくなるのは目に見えている。
恋愛先行の結婚を否定するつもりはないが、ただ、恋愛の延長としての結婚、というような風潮には違和感を感じる。
事実、周りに結婚を前提に付き合い始めたというと妙な顔をされることもあった。

でも、互いに自分のイニシアチブをとれる結婚を選んでも、ちゃんと幸せだと思う。
あとから“好き”がついてきたって、いいんじゃないか。