5年前の初夏、私はデンマークにいた。
その年の冬から留学をしていた。半年間の学生生活だった。その学校は日本のそれとは少し違っていて、一つ屋根の下に教室があり、食堂があり、寮があった。
会社を2年で辞めてデンマークへ。すぐに慣れ、ずっといた気さえした
朝起きると食堂にはパンやオートミール、フルーツが並び、寝ぼけた顔の友達とまずコーヒーを飲む。その後には朝礼があった。校長の話を聞き、みんなで歌を歌う。
ちゃんと目を覚ましたところで授業が始まる。私はジャーナリズムを専攻していたので世界情勢について議論したり、校内冊子の作成でインタビュー先を探したりしていた。
夕食もみんな一緒。ラザニアが出るとみんな喜んだし、真冬に生野菜とパンだけの日はお葬式のようだった。
週末はたまにパーティーがあって朝まで騒いだ。パーティーのない週末は一転、とっても静か。デンマーク人たちは実家に帰省し、残されるのは留学生たちだけ。ゆったりと時間が流れ、陶芸を楽しむ人や街に買い物をしに行く人の姿があった。
留学前、私は社会人だった。しかし、2年足らずで辞めて、デンマークへ渡った。
仕事は好きだったけど、人生かけてやりたいものじゃないと分かったからだ。今何か行動をしないと。そう思って調べたらデンマークの学校を見つけた。学費を払ってから、両親に会社を辞めること、留学することを伝えた。
東京の騒がしい街を抜け、辿り着いたのは街中にキャンドルが灯る国。
ゆったりと時が流れていた。最初はそのスローペースに違和感があったが、すぐに慣れた。ずっと昔からこの場所にいた気さえした。
ゆったりさ故に考えすぎてしまうのかも。幸福の国で届いた悲しい便り
留学生活から4ヶ月が経った頃、悲しい便りが届いた。私は写真でしか顔を見たことがなかったが、以前この学校で学んでいたデンマーク人青年が死んだという。自殺だそうだ。死ぬ1ヶ月前には学校に遊びに来ていたのだとか。
デンマークは幸福な国だと言われているが、自殺率は意外と高い。「ゆったりさが故に、考えすぎてしまうのかもね」。そんな風に別のデンマーク人は話していた。
私はこれまで、日々の生活に苦しさを感じて自殺する人の話は聞いたことがあった。でもデンマークのように金銭状況に関わらず医療を受けることができ、互いの助け合いの精神がシステムとして構築されているこの国では自殺なんて死に方は無縁だと思っていた。その夜は友人たちとろうそくの周りで彼の死を悼んだ。
訪れた最後の晩餐。恐怖と同時にワクワクし、なんでもできる気がした
気づくとすぐそこに、夏。心のどこかで、この生活は終わらないのではないかと信じていた。それでも最後の晩餐は訪れた。
最後の夕食は、それは豪華だった。これまでで一番美味しかった。
先生たちが総出で生徒たちのために腕をふるい、料理を運んでくれた。カリカリに焼かれた豚や、絶品のサラダ。デザートは美味しすぎて3つ食べた。酒も喉をよく通る。夕食が終盤に差し掛かる時、大きなテディベアのような校長がスプーンでグラスを鳴らし、注目を集めた。そして最後の話を始めた。
「皆さんは今、夢の中にいます。長い長い夢の中だったでしょう。でもこれからは現実世界に戻るのです。それはまるでシャボン玉がはじけるように。パンっと割れて、元の世界に戻ります。その世界は苦しく汚く悲しいものかもしれません。でもこの半年間で学んだこと、一緒にいた仲間が辛いことからあなたを救うでしょう」
私は思わず涙した。いや、ほとんどの生徒が泣いていた。終わりを自覚した生徒、その一方で安心していた生徒。これからどんなことがあっても大丈夫だと。
翌日は土曜日だった。生徒全員で校庭に出て円になり別れを惜しんだ。
やがてデンマーク人生徒の家族が迎えに来た。近隣国からの生徒は自分の車で帰宅していく。一人一人、順々に消えていく。私は飛行機の関係で数日学校に宿泊することになっていたので、黙ってその人たちの後ろ姿を見ていた。
「ああもう戻らないんだ」
次の週末はもうない。恐怖が押し寄せた。私の次の週末はどうなるんだろうか、と。
ただ、同時にワクワクもした。なんでもできる気がした。
次の週末、私は日本にいた。不思議と寂しさはなかった。本当に長い夢から覚めたような気分だった。
「さて、何から始めようか」