メイクって、その人の印象を測る一つのパラメータだと思う。

アイラインがきつすぎたら、怖いという印象を持ってしまうし、まつげがボロボロだったら清潔感ないなと感じる。
何よりも、他人からあの子はかわいい、あの子はかわいくないという評価が行われる。
その基準はどこにあるんだろう。

一重はだめ?瞼が重すぎたらかわいくない?眉毛の形は平行じゃなきゃ今時じゃない?鼻は高く見せるために影を入れるべき?
今でも忘れられない、小さなエピソードがある。

「ブスとは仲良くしたくない」大学の新入生歓迎会で宣言された

大学の新入生歓迎会で隣になった男の子に名前を聞いたら、「ブスとは仲良くしたくない」と宣言された思い出。別に下心があったわけじゃない。たまたま隣にいて、たまたま暇な時間があって周りの人とも話していたから、流れで名前を聞いただけ。

ブスって大学生でもいうんだ、なんてあほみたいなことを思いながら、みるみる内に自信がなくなった。

高校生の時、勉強しかしないような高校だったから、メイクなんて一つもしなかった。むしろしている人がいたら先生に呼び出されるレベル。素顔でいることが許される世界だった。
大学に入ったら突然世界はシビアになった。

あの子はかわいい、あいつはブス。大きな声で教室で叫ぶ男子たち。そもそも元の悪い私がメイクという努力をしないことは許されないのだと感じてしまった。
メイクに時間をかけるようになった。朝の30分、下地からファンデーション、アイライン口紅、眉毛、全て“ちゃんと”メイクしていることがわかるように。

このメイクは少しも楽しくなかった。やらされている、義務として、学校に行って恥をかかないために。その一心だったから、朝起きた時、メイクしなきゃ、やりたくないなと嫌な気持ちになった。

メイクを義務のように感じた私が、再びメイクをしようと思えたのは…

そんな感じで、1年過ごしたけれど、メイクに対する興味も思いもなくなって、学年が上がった瞬間から前のように最低限しかメイクをしなくなった。その時にはもう教室にいる男子の叫び声を無視する耐性はできていたし、メイクをしたことで得られたものはなかったから気にしないことにした。

再びメイクをしようと思ったのは好きな人ができた時。
いつもは買わないような高いファンデーションを買って、1時間以上かけてメイクをした。デートの日の前の日から念入りにスキンケアを行って、どんなメイクで行くかユーチューブで勉強して、鏡の前で試行錯誤した。

二重にしたらかわいくなるかなって思ったけど、二重である私はどこか自分じゃない気がして人の目を気にしてしまうから一重のままで勝負した。おかげで丸の内を一人で歩いても何も恥ずかしくなかったし、今日の私はかわいいんだ!っていう謎の自信に満ちて一歩が大きくなった。いつもだったら、目を背けてしまう大きなガラスに映る自分に微笑んでしまうくらいの余裕があった。

メイクは特別な日に自信をつけるために使う。これがちょうどいい距離

好きな人に、かわいいと言ってもらえることはなかったけれど、メイクの楽しさもメイクが与えてくれる自信も体感した。トイレの鏡を見た時、自分で自分をかわいいと思えるなんて最高だった。

だけど今、私はメイクと距離を置いている。毎日のメイクは必要最低限。疲れない程度にできる簡単な工程。メイクは、特別な日に自分に自信をつけるために使うものにした。

それが一番、私とメイクとの距離感としてちょうどよかったから。やらなければいけないから遠ざかり、やりたいと思う日に全力でやる。
大事な日、戦いたい日、ちょっとおしゃれしたい日、日常にひっそりといる特別をメイクでもっと特別にしたい。それが私とメイクの距離感だ。