「ちゃんとメイクしたほうがいいよ!」
コスメが大好きな友人に喫茶店で投げかけられた言葉に、私の頭の中は疑問符でいっぱいになった。えっ、それって私のこと?ちゃんとアイシャドウも口紅もファンデーションもしているのになあと思い、「ちゃんとしてるよ」と淡々と答えた。すると、間髪入れずに友人は「眉もマスカラもアイラインもやってないくせに、なに言ってるの!今からやり方教えてあげる」と言いながら、鞄の中からポーチを出して、その中から次々と化粧道具を取り出していった。
自分なりにはメイクをきちんとしているつもりだったが、友人から教わるメイクテクニックとそれを実現するためのツールの多さに驚いたのを覚えている。ここまでやる必要ある?と教わっている間内心疑問を覚えたが、友人が完成させた私の顔は、なるほど、確かにいつもよりも華やかに綺麗に仕上がっていた。
そこからだ、自分なりにメイクを研究するようになったのは。
メイク雑誌を何冊みても、二重用のメイクのやり方しか書いていない
メイクへのハードルは、私の場合大きく2つあった。
まずは、一重瞼だ。幸いなことに一重瞼の中では目が大きいほうではあるが、それでも二重幅が存在しないのは確かで、メイク雑誌を何冊みても、二重用のメイクのやり方しか書いていないこの世の中では、アイメイクのテクニックを媒体から学べることはないといっても過言ではなかった。“落ちない”ことをウリにしているペンシルアイライナーは落ちるし、二重幅にいれてくださいという指示に従っても瞼に埋もれて見えなくなる。アイプチ等は不器用でどうにもうまくできないから、己の瞼の形を受け入れて、自分なりに日々練習を重ねながら、一重なりに目が大きく見える方法を模索するしかなかった。
もう1つは、生来のめんどくさがり屋の性格だ。できるだけ少ない工程でメイクを完了させたい私は、(これはいまもそうだが)スキンケアは化粧水とクリームだけで済ませたいし、メイクだって本当はちゃちゃっと終わらせたい。ただ、メイクに関しては、やっているうちに工程を多くしたほうが仕上がりがいいことに気が付いたので、今は動作の短縮を意識するだけで、手順を少なくすることには執着しなくなった。
メイクすると自分の気分がガラっと変わるということ
こうして自分なりに手法を模索していった中で、気が付いたことがある。それは、メイクすると自分の気分がガラっと変わるということと、周囲の反応が違うということだ。
作りたい雰囲気にあわせたメイクをすることで、色々なテイストの服を楽しめるようになったし、自分のことをかわいくできれば自己肯定感だってあがる。当然、周囲の反応も貰えるようになるし、異性にモテるように・・・なったかはわからないが、かわいいと褒めてもらえることも増えた。
たぶん、友人のひとことがなかったら、私は手順を少なく最低限のことしかメイクに関してはやらなかったし、研究もしなかったと思う。そしてこれは、仲のいい友人が指摘してくれて、実際手順を教えてくれたからこそ響いたことで、他の人からの言葉であれば意識が変わることもなかったと思う。
失敗も楽しめるくらいに、メイクという作業を愛せるようになった
今日も私は、面倒くさいなあとは思いながらも、顔を洗って、スキンケアをして、鏡の前の素の自分と向き合い、メイクを施していく。今日はどんなメイクにしよう。久しぶりにあの服を着て出かけてみようかな、そうであればこの間買った気分が明るくなるピンクのアイシャドウを使おうかな、なんて次々と完成イメージを妄想しながら手を進めていく。時には失敗することもあるけれど、そんな失敗も楽しめるくらいには、メイクという煩わしくも心躍る作業を愛せるようになった。私の人生で欠かせない“作業”を楽しめるようにしてくれた友人よ、ありがとう。今日も私は、あなたに感謝しながらメイクブラシを手に取るよ。