私は小学四年生の冬に初潮が来た。小学校のトイレで、パンツについた赤いものを見て、気が動転すると思いきや、私は冷静だった。「これは、せいり」だな、と。

妙にリアルでお姉さんのような「まる子」に、鮮烈な印象を受けた

小学生にして生理の知識があったのは、「ちびまる子ちゃん」のおかげだった。
当時の私は、親にせがんで買ってもらったちびまる子ちゃん全巻を、毎日毎日飽きもせず繰り返し読んでは、「あたしゃやっぱり熱い静岡茶には甘納豆が好きだよ」と2000年に生まれたとは思えない発言をしていた。

ある巻の最後に、まる子が中学生になった時の話があった。
いつものようにまる子は男子にからかわれ、まる子は怒って走って追いかけようとする。するとまる子の友達は「まって、きょうわたし走れないの。今、アレなの」と言う。まだ生理がきていなかったまる子は、その友達が急に大人の女性になったように感じ、焦りを覚える。
そしてしばらく経った頃、まる子も自宅のトイレで自分のパンツが赤くなっている。その瞬間のまる子の顔が、コメディータッチないつもの絵ではなく、妙にリアルでお姉さんのような描写で、それが小学生の私に鮮烈な印象を与えた。

生理は「お姉さん」の証拠だったはずなのに、隠れて恥に感じた

身体の発育が他の子よりもよかった私は、小学4年生にしてナプキンをあてる生活をはじめた。もちろん友達で生理がきている子など見当たらない。パンツからナプキンを外す時の、あの乾いたベリベリという音を誰にも聞かれたくなくて、息をひそめ、まるで絆創膏をはがすように慎重にはがした。

しかし小学5年生になったある日、大失敗をする。運動会の練習で一日中外にいて、ずっと友達と行動を共にしていた。つまり、ナプキンを変えるタイミングがなかったのだ。
大繩飛びの練習をしていた時、ふと自分の足に目をやると、赤い一本の線が太ももを流れふくらはぎまで到達していた。私はあまりのショックと恥ずかしさでその場にへたり込んでしまった。クラスメイトみんなが怪訝そうに私を見ている。何かを察してくれたのか、先生が保健室に連れていってくれ、服を替えてくれた。その瞬間、私は惨めさで大泣きした。

生理は「お姉さん」になった証拠じゃないのか、まる子だって羨ましがっていたじゃないか、何で私はこんなに隠れて恥に感じているんだ。

生理で失敗してもいい。それが「お姉さん」になるための練習

その日以来、生理が怖くなった。血の出る自分の股が、大嫌いになった。生理を止めたくて、逆立ちしたりティッシュを膣に詰め込んだり、子宮を殴ったりもしてみた。それでも「アレ」はやってきてしまう。生理の1日目は小学校を休みがちになった。

年齢が上がるにつれ、生理への恐怖心は和らいでいった。中学生の時、はじめて友達と生理について話した日の雪解けのような安堵は今でも感覚が残っている。

今日では性教育の重要性が認識され、小学生への教育も始まっていると聞く。私のように、生理を憎んで、血が出る自分の身体を責めるようなことはとても悲しいことだ。

生理で失敗してもいい、それが「お姉さん」になるための練習だ。生理に恥ずかしさを感じない、自分の身体が変化しても愛し抜けるようなそんな考え方を、ゲラゲラ笑って教えてあげてくれないかな、ちびまる子ちゃん。