息苦しくて家を出た。時刻は18時20分、家の鍵と財布、スマホ、折り畳み傘を持って家を出た。

シングルマザーの姉とその5歳の息子と3人で暮らす家で、私はさっきまでスマホをいじっていた。いつもなら16時半には帰ってくる2人が帰ってこない。姉からは遅くなるなどの連絡もない。

特別、心が痛むことがあったわけではない。一目ぼれして買ったサンダルで靴擦れをした。明日から雨の日が続くことをニュースで知った。同僚が来月退職することを知った。1年後の自分が何をしているか想像できない。

なぜだろうか、その時々では強く感情が動くことはなく、仕方がないとけりをつけていたのに、いつのまにか積もって、積もって、積もって、気づいたころには背中から覆いかぶさるように襲われていた。

息と心がどんどん「不安定」になって、行先も決めずに歩き出した

1秒ごとに日が沈んでいく時間帯。どんどんと息が、心が、不安定になっていく。このままここにいてはおかしくなってしまう、そう思い立ったら急いでトートバックに荷物を投げ入れて、でも開いていた窓は確認して、閉めてから家を出た。頭が習慣を投げ捨てることは、この緊急事態でもできないらしい。

駆け足で玄関を出て、住宅街を歩いていく。今年一番の暑さを更新していく日々でも、柔く吹いている風でひんやりする。今日は一日中家にいるつもりで着ていた、七分丈の薄いブラウスにデニムの膝上ミニスカートの格好、それに急いで履いた馴染みのスポーツサンダルだからかもしれないことは置いておこう。

行先も決めずに歩いている。まだ息をするたび心臓のあたりが痛くなって、少し前かがみの姿勢になる。部活帰りの中学生にすれ違っては、変質者だと思われないか不安になって、そっちを見ることができない。「案外、人って見てないもんだよ」って言葉には救われず、哀しみを広げていくだけだった。

歩きながら自問自答する中で、誰かに助けを求めたいと思った。母親か、友人のRか、恩師のYか、もしくは2年前に別れた元カレのRか。最後に挙げた人間は怪しいが、他の人はこんな私でも受け入れてくれるのが目に見えてわかる。忙しい中でも、弱音を吐く私に「おいで」と言って、背中を撫でてくれる。

だからこそ連絡なんかできない。いっそのこと、元カレの性処理に付き合うぐらいの野蛮さのほうがこの感情を処理できるような気がする。それは本当に気がするだけなのもわかっているから、結局は身動きできず、だからこうやって徘徊している。

苦しいときは王子様が助けてくれるものだと、いまだに頭の片隅で期待している自分がいる。それはガラスの靴を持ってきてくれる人だったり、おまじないをかけたおにぎりを持ってきてくれる人だったり、絵本やテレビで見た、タイミングを計ったように現れる人たちのことで、今までの人生でそんなこと一度だってなかった。

それでも懲りずに遠くから歩いてくる人がもしかしたら、と想像しては何もなくすれ違って落胆する。私が幼いころに見てきたものに、もし王子様がいなかったら、こうやって落胆する必要はなかっただろう。いちゃもんをつけている自覚はあってもそう思わないとやってられない。

「感情」を整理できるまでどこかにいたかったが、私は家に帰った

一駅分ほど歩いたところで、一旦現実に思考を戻す。何時になっただろうか。息苦しさはなくなった、心はまだ不安定だ。スマホを見れば時間なんてすぐにわかるが、見たくなかった。私にとって2~3時間と思っているこの逃避行が、たかだか40分ほどのものであったら、簡単な人間に思えてしまう。

行き先も決めずに歩いて、家に戻ってきた。この感情を整理できるまでどこかにいたかったが、連絡せずに出かけた私の帰りが遅いことを心配した姉から、そろそろ電話がかかってくると思うと、そのほうが嫌だった。

玄関を開けたら、私の家には目の前に壁掛け時計がある。時刻は20時をまわっていた。徘徊時間は中途半端だった。いつもならお風呂に入る時間だが、入りたくない。入ってしまったら、この感情が和らいでしまう。和らいでも存在し続ける、それがとても怖い。潔癖症ではないが、入らない選択肢は私にはない。

息苦しさの感情は眠ってしまったら収まる。だから、私は眠りたくない

少しでもお風呂に入るまでの時間を延ばそうと、1階の自室へ行って、何かするわけでもなく、カーペットの上に横になる。数分後には上の階から、「早くお風呂入っちゃってよ」とイラついた姉の声が聞こえた。嫌々体を起こし、湯船につからずササっと出た。

眠りにつきたくない、眠ってしまったらこの感情の3/4は引いてしまう。波のように引いていき、そうして落ち着き始めたころに勢いよく押し寄せてくる。それがとても怖い。だからといって眠るのを我慢できないのがまた心を苦しめる。

上の階にいる2人に気づかれないように、嗚咽の音を小さくしてラジオを流す。お笑い芸人の番組は笑い声でいっぱいで、うるさいくらいなのに瞼は閉じていることが多くなってきた。そろそろ睡魔にすっぽり丸呑みされるのか。

では、この感情さんよ、再び会いましょう。