生理には個人差がある。自分が異常とは思っていなかった
とある月は、1コマ45分の授業が終わると、すぐにトイレへ駈け込まなければならなかった。
夜用のナプキンをつけていても、あのどろりとした血の塊まりが膣を押し拡げてくる感覚がする度に、自分の見えていないところが赤く汚れているんじゃないか、とか、それを他人にみられて哂われるんじゃないか、という恐怖に襲われた。
またとある月は、冷や汗がにじむほどのひどい腹痛と頭痛で授業がまったく頭に入ってこなかった。特に中学1年生のときの英語の先生はとても厳しい人で、俯いて苦痛に耐えているとカミナリの如き罵声がとんできた。
しかしながら、自分の生理が異常であるとは思っていなかったし、大人に相談するつもりも毛頭無かった。
授業が終わる度トイレへ走るのも、授業中ぼんやりしているのも、生理によるものだとは言っていなかったから、周りのひとからみれば、わたしはおなかの弱いひとであるとか、不真面目なひとであるように思われていたかもしれない。
もちろん生理の重さには個人差があるということは知っていた。
ある女の子は「血の量は多くないけどだるい」といった。また別の女の子は「とにかく眠い」といった。わたしと同じように激痛に耐えている女の子もいた。
皆それぞれに不調があり、その程度もばらばらだから、自分がひとと比べてずっと深刻に生理に苦しめられているとは思わなかったし、1週間耐えるだけでまた生理に冒されない日々に戻った。
初めて婦人科へ。わたしの生理は「ちゃんと異常」だった
わたしの生理は、ほかのひととちょっと違うかもしれない、と思ったのは大学生になってからのことである。
1か月以上、血が止まらなくなったのである。痛みは無く、量もさほど多くなかったが、ナプキンを外せない日々がつづいた。
そしてようやく血が止まったと思った数週間後には、中学生のころと変わりない、腹痛と頭痛と大量出血のカーニバルがやってきた。
就職活動を終えた大学4年生の夏、ついに婦人科へ行くことに決めた。
あるときは血を吐き出しつづけ、あるときは身をねじ切られるかと思われるほど痛み出す子宮をそのままにして働けないと思ったからだ。
初経が小学4年生くらいだったから、約12年間、この神秘的で薄気味悪い臓器に振り回されつづけていたことになる。
エコーの結果、多嚢胞性卵巣症候群という排卵障害のある疾患であるとわかった。
ホルモンバランスが崩れ排卵せず、子宮内膜になるはずだった血がだらだらと流れ落ちつづけた、というのが1か月にも及ぶ不正出血の正体だといわれた。
そしてうまく排卵され生理がきたとしても、月経困難症になっている、と。つまりわたしの生理は「ちゃんと異常」だったということだ。
もっと早く「なんとかしたい」と思えば良かった
いまは低用量ピルを服用しており、1か月にもわたる不正出血も、腹痛と頭痛と大量出血のカーニバルもほとんど治まった。ほんの少しの出血だけで、生理の無い日とまったく体調が変わらないという月もある。
振り返って考えてみれば、生理の苦痛に耐えれば良いと思っていたかつてのわたしは、個人差という言葉を、自分の生理をノーマライズするために利用していた。
しかし、ひとによって生理の程度が違うなら、わたしたちは何を以って「生理ってこういうもの」と自分を納得させているのだろう。
月に一度、股ぐらから出血すること? 痛かったり、怠かったり、眠かったりすること?
たしかにわたしの場合は、出血のペースが月に一度ではなくなったから「ほかのひとと違うかもしれない」と思えた。
けれどそう思うより以前から、つらい生理を「なんとかしたい」と思って良かったのではなかろうか。ほかならぬ自分のために。