犬から血が出た。
部屋の床や座布団のカバーに、赤い血が点々とついていた。
「ハナちゃん、今セーリだから」
とお母さんは言い、床を拭いたりハナちゃんにおむつを履かせたりした。
セーリで血が出ている……。小学2年生だった私は、「生理」という言葉をこの時に初めて聞いたのだった。
「血が出てかわいそうだな」「痛くないのかな」「いや、痛いに決まってるよね」「もう何日か経ったのにまだセーリなんだ」「なんでハナちゃんがこんな目にあわなきゃいけないんだ」「おむつは動きづらそう。暑いし脱ぎたいよなぁ」と、私はぼんやりあれこれ考えた。
幼い頃の私は、お母さんから聞いた「セーリ」に衝撃を覚えた
そんなある日、私とお母さんはハナちゃんの散歩に出かけた。夏の夕方だった。
住宅街を歩くと、どこからか夕飯のにおいがただよってきたり、シャワーの音がきこえたりする。いつも通りの日常。楽しそうに歩くハナちゃんを眺めながら、私たちは他愛もない話を続けた。
私はこの時間が好きだった。学校についてや家族のこと、今日のご飯の話などを自由にしゃべる。
そしてふと、私は言った。
「犬にはセーリがあってかわいそうだねえ。血が出るなんて」
目の前にいるハナちゃんのことをなんとなく口にしただけだ。そのはずだったのに。
「え? 犬だけじゃないよ、生理は。人間にもあるよ?」
「えっ……!?」
ものすごい衝撃だった。人間にもある、という意味が理解できない。つじつまが合わないと思った。だって血が出て大変なんて話は聞いたことがなかった。
さらにお母さんから、「生理は女にしかこない」こと、「生理は早くて小学校高学年には始まる」こと、そして「自分ももちろん生理を経験している」ことなどを聞いた。
「知らなかったのかー」
と、お母さんは言った。私は自分の衝撃をうまく伝えられずにいた。
女子だけが集められた秘密の儀式。「生理って隠すべきことなんだ」
それまでは他人ごとで、かわいそうだとか痛そうだとか思っていたのに、それがそのまま未来の私に降りかかってきたのだ。しかも数年先の未来に。日常が急にひっくり返った気がした。
世界はほかにも私に何か隠し事をしているのではないか、と恐ろしくなる。すっかり疑心暗鬼だ。もう何も信じられない。
それから生理というものの存在を意識しながら世の中を見てみても、小学生の私にとってあまり目に付くものはなかった。それがまたますます、大人の女性はみんな時々血を垂れ流しながら生きているという事実を信じられなくさせるのだった。
そして、また数年たったある日、私たち女子だけが一か所に集められた。そこで、初めて生理について学校で教わった。そして私は納得したのだった。
「ああ、生理って、何としてでも隠すべきことなんだ」
どうして世の中で目につかないようにされているのか、知るのが遅れたのか、血を流しながらも平然と生きなければいけないのか。女子だけが集められ、秘密を伝える儀式であるかのようにして語られる「生理」によって、それらに納得した。納得してしまったのだった。
「かわいそう」「痛そう」。その感覚を忘れないでいよう
しかし、20歳になった今は思う。私は女だから、黙って受け入れなければいけないのだろうか。
今では生理も日常になってしまっている。だが初めて知ったときには、かわいそうだ、痛そうだ、と感じたその感覚を忘れないでいようと思う。
自分が生理というものの存在を信じがたかったときのことをふりかえれば、男性に理解がなかったり、女性同士でもその差異を伝えられなかったりするのも仕方がないという気持ちになる。だって一生懸命隠されているのだから。
男性に伝わらない、友だちの辛さがわからない。それを受け入れて当たり前だと思う必要はないだろう。子どもに無理やり納得させてはいけない。せめて身近な人にでも気軽に伝えていけるような世の中になればよいと考える。
私はつい最近初めて「生理って大変なんだよ」と、男友達に直接言うことができた。
私たちは犬ではない。言葉が使えるのだ。