私は今、大学で「ジェンダー論」という講義を履修している。セクシュアリティの基礎的な知識から現代に至るまでの社会を取り巻くジェンダーについて、様々なテーマで講義が行われている。
ついこの間、「教育とジェンダー」という内容の講義を受けて、その中で男女共学や別学における環境のメリットやデメリットといった内容が取り扱われた。
帰宅後、その日受けた講義の事を母と話題にした。会話の中で出てきた母の学生時代の話は、共学と別学について考えるきっかけになった。

母の出身女子校は「頭が良く上品な生徒がいる」イメージだけど実際は

母は北関東の出身で、中学校までは共学だったが高校は県内でも有数の女子校に進学した。
当時コンテンポラリーダンスを習っていた母はダンス部に所属し、部活のメンバーの中ではエース的存在だったという。
その女子校は偏差値が高く、伝統のある学校として有名だったが、「頭が良くて上品な生徒が通っている」というイメージからはかけ離れた高校生活だったと母は振り返っていた。
着替えの途中でも平気で廊下を歩いたり、生理が来れば体育の授業はズル休みして、授業中にこっそり早弁したり、スカートを仰いで暑さを凌いだり、端から見れば「だらしない」感じだったらしい。
そういえばジェンダー論の教授も女子校出身で、同じような事があったと話していた。
何故、女子校ではそんな事が起こるのだろうか?
母はそれを「同じ女の子しかいないから気が楽だし、許しちゃうんだよね」と言った。成る程、腑に落ちた。

別学と共学どちらにも良い側面と悪い側面があり、「色々」である

私は中学校も高校もずっと共学だったけれど、高校は芸術コースのある地方都市の高校を受験して音楽科に進学した。
そのせいか男子生徒は指で数える程しかおらず、入った部活も女子生徒限定の合唱部だったので、実質女子校みたいなものだった。だから「女の子しかいないから気が楽」という母の気持ちは高校生になって初めて理解出来た。それから大学はメディア系の学科に進学して、今度は男子学生の数が増えた。
最初はどんな人と仲良くなれるかも分からなかったけれど、次第に色々な学生と打ち解けていった。同性の友達は勿論いるけれど、異性の友達も自然と出来た。その中には留学生や先輩、後輩もいる。
自分でも驚いた。今まで異性と仲良くなるなんて、自分には縁のない事だと思っていたからだ。性別に関係なく誰とでも仲良くなれるのは私の強みだとスクールカウンセラーの先生にも言われたので、私はもし別学だったとしても色々な人と繋がりを持てる力があると信じて生きているだろう。

共学にも別学にも、それぞれ良い側面もあれば悪い側面もある。
学校によってそれは異なるかもしれないけれど、自分の学びたい事や興味、関心のある分野があれば、共学であろうと別学であろうと受け入れてくれる場所はある。
今後はきっと、共学・別学に囚われずに目標を見据えて学ぶ時代になるのかもしれない。
もしこの文章を受験を控えている学生さんが読んでいてくれたら、色々な学校があるけれど、本当に「色々」なんだなという感じで進路に向けて頑張って欲しいと願う。