共学で女をやらされて。
別学で人間になった。

高校時代、共学の公立校に通っていた。当たり前のように男は男らしく女は女らしく、そしてその「らしさ」を品評される生活が普通だった。
高校時代、みんなコミュ力、顔、能力、などのクラスカーストを形成する要素を高めることに必死だった。なぜなら落とされれば惨めな学生生活が待ってるからだ。
ならば私の話をしよう。クラスカースト最下位からみた共学の話を。

「男の良さを知ればレズも治る」。治すものだと思われているなんて

高校2年の時、私には同性の恋人がいた。何よりも大切なかけがえのない人だった。
しかしここは共学。男女が恋愛するのが一般的だ。
未だLGBTQが浸透してない時代だ。私たちカップルは隠そうということになった。
上手くいっていた。全ては順調だった。クラスカースト上位のいじめ主犯格女にバレるまで。

クラスカーストで上位な女子は男子とも仲がいい。私と彼女の噂はみるみる広まっていった。
私は何度も屈辱的な質問や態度を取られることになる。
まず、男子から「女同士のセックスってどうやってやるんですかぁ~??」や「雀ちゃんは下なの上なの?ちんこは?あ!こんど3Pする?」などの下品なからかいを受けた。
男子高校生は体ばかりが大きいただの子どもだ。中身は小学生だと言っていいだろう。
こんなことを教室で大声で言われてみろ。大切な相手に申し訳なくて涙が出そうになる。
でも私はこらえた。こんなののために流してやる涙はないからだ。

ある日、こんなことを言われることになる。
「雀ちゃんがレズなのは男を知らないからだよ。男の良さを知ればレズも治ると思うよ」
完全に善意で言ったかのような顔をしていた。
信じられなかった。治すものだと思われてることにびっくりしたし、その男とやらはそんなに良いものと信じていることが気持ち悪かった。

逆に女子高生は、脳にOL詰まってんのかってぐらい心も成熟していて、狡猾な嫌がらせをしてきた。
まず私はカースト上位目のグループにいたのだが、そこで彼氏の話ばかりするようになり、だんだんとハブられていった。ひとりでご飯を食べるようになった時、私は体育で2人組になってくれる子も移動教室に一緒に行ってくれる子もいなくなっていた。
恋人が同性だとバレた時を境目に、こんなことになってしまった。一人ぼっち。気づけばカースト最下位になっていた。

それでも良かった。そこで恋人と別れたりせず、大事な人を大事にするという当たり前のことが出来たからだ。
休み時間には年上の恋人のところにずっといた。腫れ物のような扱いを受けてまで先輩という立場にいる恋人は、私を慰め涙を拭いてくれた。心地よかった。幸せだった。私はこの人のために生きてきたんだとさえ思った。

1年も経つと私のレズ弄りも収まり、クラスも変わり新しい友人もでき、比較的楽な学生生活を送ることが出来た。それでも私は友達から恋愛相談を受けたことがない。私を異常だと思っているからだろうか。

このように共学へ行って、女として間違っていると何度も嫌がらせを受けた。女は男のために可愛くして付き合ってセックスしてっていうのが常識で、それ以外は許されなかった。

女子大へ進学。ここでは私がレズであることに無関心だった

そんな窮屈な高校を抜け出し、私は女子大に入った。女子大に入った理由は、高校時代の男子からのレズ弄りが常人が想像するより遥かに気持ち悪く、もう男子というものと関わりたくなかったからであった。

ここでも私は自分がレズだとバレたら終わりなんだと緊張していた。
しかし、その緊張は、大学が始まる前のガイダンスで解けてしまう。

入学式を早々に済ませたあと、講義室に入ってガイダンスを待っていた。その隣に来た女の子はなかなかボーイッシュで日焼けしていた。その子は私と簡単な自己紹介をするなりこう言ってきた。

「雀ちゃんレズでしょ。私も彼女いるんだ」
は?
高校時代、それで1年間は教室で泣いていた事実をこうも簡単に喋っていいの?
「そーなんだよー。こいつの彼女、結構可愛くてさ。見る?」
後ろの友達とみえる子が話しかけてきた。

彼女の話をこんなに明るくしたことがいままであっただろうか。びっくりしすぎてちょっと固まってしまった。そのボーイッシュな友達が後の親友である。
この大学は、私がレズであるということにいい意味で無関心だった。それがとても心地よかった。

その他でも感動したのが、カーストというものがないということだ。
共学なら大学でも多少は上下が出来てしまうだろう。しかしここでは派手な子が静かな子にノートを貸している。逆ならわかる。でも高校の時こんな異常事態あったか?

なぜ私たちは男子がいるだけでおかしなことになってしまうんだろう

私たちはカーストの呪縛から解き放たれて、人間として当たり前の行動が取れるようになっていた。女子だけになって私たちは人間になった。
決して男子がいると女子が悪くなるとか言いたい訳ではない。性別がないだけで私たちはある程度開放されるのだ。
講義室で強ばる必要もなくなり、派手な子も地味な子もみな声をかければ助けてくれるようになり、逆にノートを見せることになったり、性的指向にいい意味で無関心で皆優しくなれる。人にレッテルを貼って差別しなくなる。

それが共学と別学の1番の違いなんじゃないかとぼんやり思う。
なぜ私たちは男子がいるだけでおかしなことになってしまうんだろう。
モテたいから?
見下されたくないから?
わからない。しかし、私が体験したものはこれだけ。

第二次性徴期でちょっと情緒が不安定だとか子どもだったから色々あると思うが、1番は恐怖だと思う。意味のわからないものへの恐怖。自分の立ち位置が狂う恐怖。そんな恐怖から身を守るために過剰に反応してしまう。そんなお年頃だったのだと思う。

もし子供が産まれたら、まず別学を勧めたいと思う。みな同性というのは人を子どもから人間にしてくれる。人間として立派になってから異性との付き合い方も学んでいけばいいと私は思う。
共学を悪く言ってしまったが、ケースバイケースだと思う。共学のほうが人間として成長できる人もいるだろう。私がそうじゃなかっただけで。

出来ることならこういった実体験を中学生の子に見せてあげたりして、よく進路を選んで欲しいと思う。