じぶん以外の誰かになりたくて、よく目を閉じて空想した
高校生の時、よく目を閉じて空想することがあった。
毎回同じ内容を何度も何度も想像しては、うっとりとした絶望を感じていた。
その妄想とは、目が覚めた時に白人の女性になることだった。
典型的な美の象徴である金髪碧眼の女性になっている時が多かったが、想像上の自分は美も力も富も才能まで備わっていて、これ以上ないほど魅力的だった。
夢の中で私は、運動神経が良く健康的な身体に流行ものの装飾品を身に着け、英語を流暢に操る上に成績も良く、男を振り回していたのだ。
高校生の当時私は東南アジアにあるアメリカ系インターナショナルスクールに在籍していた。
東南アジアにあるものの、国内有数の金持ちか、Expat Community(海外赴任に帯同した家族を含めた海外滞在・居住者のコミュニティー)が生徒の大半を占めていた。
この学校における人気者の定義はすこぶるアメリカ的で、シーズン毎に選出される所謂運動部に所属するJocks(スポーツマンの生徒)がスクールカーストの上位に属していた。
私はその中でも日本の部活で鍛えた運動神経とスキルがあったので、すぐにメジャーな球技チームのメンバーに選出され、実質的にはJocksの仲間入りを果たしたことになる。
だが違うのだ。
異性から求められるという魅力がじぶんの価値だと信じていた
運動神経が良くたって、日本の高校から転入して来たばかりで英語でのコミュニケーション能力が低く、女子高から急に共学になって男女間においては重度のコミュ障の私は女子の間では建設的な友情は築けても、男の子からは求められなかったのである。
そう、もう一つのスクールカーストで上位にのし上がる条件とは、性的魅力だったのである。
私はこれが徹底的に欠けていた。
性のスクールカーストで上位を占めていたのは、白人か、白人的な特徴を備えている - 日本でいう日本人離れした見た目だったり、白人の公用語である英語で自信を持って会話できたりする - 自分とはかけ離れた女子たちだったのである。
女子高で彼氏が欲しいと友人と揶揄しあっていた当時よりもかなり現実的なプレッシャーとして、彼氏がいないこと、性的経験が無いことに関してひどく劣等感を感じていた。
今までは、彼氏がいなくたって成績が良いという長点があったが、英語がモノになっていない状態であがいても、インターでは中の上である。
自分が朝目覚めたら白人、という妄想が始まったのはその頃だ。
空想や妄想とは、一般的に叶う可能性が低い、あるいは現実では起こりえないことを夢想していることが前提条件である。
私は私で有る限り、他者から愛されず、自分を愛することもないのか
でも、私は白人にならなければ、魅力的でもなく、力もなく、才能もないのだろうか。
質問を変えてみよう。
日本人で典型的アジア人の特徴を持つ私では、白人が持ち得る溢れんばかりの魅力を兼ね備えることは不可能なのだろうか?
楽観的で理想的な世界では、日本国外に出たことがない、日本以外の文化に触れることがない生い立ちのいわゆる「純ジャパ」でも白人と同等の機会と魅力を持つことができるという回答が正しいのだろう。
ただ、本当にそうだろうか?
一重より二重、色黒よりは色白、くせ毛よりはストレート…
世の中の可愛い、セクシーは白人的な要素がとても多いと感じるのは、私の妄想の域を出ないのか。
一つだけ分かるのは、白人になる空想をし、日本人で日本人の特徴を持つ自分を否定し、自分を傷つけてきたということである。
なぜ、自分に対してこんな仕打ちをしてきたのか。
これに関してはまだ100%解明できたわけではないし、ここでは詳しく言及しないが、大学や大学院で学んだ人種・ジェンダー・植民地等の知見を通じて自分なりに「なぜ」に対するアプローチは持てるようになったと思う。
最近、この妄想についてよく振り返る。
この話しをする度に、白人の友人からはとても驚いた目で見られる。
奇しくもこの妄想が奇異かもしれないと思ったきっかけは、黒人の女の子が似たような想像をする本を説明した時の、白人教授の憐むような声のトーンである。
それまでは本当にこの空想が自傷的であることは露知らず、よくある話だと思っていたのだ。だが、これは私だけの奇譚だと思えないのはどうしてだろうか。
今はもう白人になる空想はしない。