男に媚びるのは負けだと思って生きてきた。

食べる事がいっとう好きな子供だった。食べるのは健康の証と、家族も私の食欲を止めることがなかったので、小学校高学年に上がる頃には、人の2倍は横幅のある立派な肥満体型が出来上がっていた。

小学校を卒業するまで悪質なからかいが続き、私は男子を敵と認識した

子供というのは残酷なもので、ちょっとでも自分と違う事があると、それをからかいのネタにする。気が強く、直ぐに口や手が出る私は、思春期の男子小学生からしたら面白くない存在だったようだった。

小学3,4年生、クラスの男子たちから、所謂ウィルスゲームの標的にされる生活が始まった。身体が当たるび、私の持ち物に触れるたびに始まる悪質なからかい。「やめてくれ」といくら声に出しても終わらない遊びは、私が男子を『敵』と認識するには充分なものだった。

結局、小学校を卒業するまでゲームは続いた。男子への敵対心はそのままに、中学受験をした私が進学したのは、中高一貫の女子校。小高い丘の上に建つカトリックの女子校。男性といえば、キャラクター性の強いマスコット先生か、既に定年を過ぎた非常勤のおじいちゃん先生しかいない。同世代の異性という、分かりやすい思春期への切符を持たない私たちは、年齢の割に随分ゆっくり情緒を育てていった。

特に私なんかは、当時テレビゲームやアニメなんてものに夢中になっていたのだから、まるっきり子供だった。イケメン俳優や恋バナ、オシャレにとって変わられるはずの子供趣味。私は、その乗り換えの波に上手く乗ることが出来なかった。所謂、ヲタクというやつ。

学内の上位カーストに属するのは、運動部や塾などで男子と関わりのある生徒たち。話題の中心は、もっぱらジャニーズの誰それがかっこいいとか、最近いい雰囲気の男友達のことで、それについていけない子は除け者にされた。

カースト上位の集団とその取り巻き、上位層には食い込んでいないものの、同じ話題で盛り上がる事が出来る中間層。そして、不思議ちゃんやヲタクという下層に位置する私。漫画やアニメの話題で盛り上がる私たちは、メディアが届けるステレオタイプなヲタクのイメージも相まって、理解のできない気持ち悪い存在とみなされていた。

いつの間にか「オシャレ=男に媚びるもの」という認識になっていった

女子特有の空気の読み合いが苦手な私は、入学当初から擬態の方法を間違えた様で、クラス替えがあるまでの短い間、クラスの上位カーストに属する子たちに程度の低い嫌がらせを受けた。ヲタクの癖に目立ちたがり、ふくよかな体型、勉強が出来ない。ハブられるには充分な要素を持っていた。

女子の陰湿さに衝撃を受けた私がとった処世術は、老け役を演じる事。元々の老け顔に大柄な体格。昭和の肝っ玉母さんのような風貌の私は、自然とそういう役回りを演じる様になっていった。

「若い子はいいわねえ~」「おばさんだからわかんないわあ~」とおどければ、大抵笑ってその場を誤魔化す事が出来た。そうやって振る舞う事が板についた6年間。いつの間にか、ヲタクである事とおばさんキャラであることを免罪符に、年頃の女の子であることを放棄するようになっていった。

元々カトリック系の進学校だったため、華美な装いはそもそも禁止。カーストトップの女の子たちは、毎日必死に鏡と睨めっこしてまつ毛や唇を煌かせていたが、私はすね毛だって眉毛だって生えるに任せていた。

むしろ、スカートの丈を短くしては、先生に注意されるクラスメイト達を馬鹿にしてさえいた。入学当初から明確に受けていた差別に対する対抗心だったといって、も間違いはないと思う。徐々に私の中には、『オシャレに気を遣う女=男に媚びる女』という図式が育っていっていた。

小学生の頃私をイジメてきた男子、中学で嫌がらせをしてきたクラスメイト。その印象がぐちゃぐちゃに混ざり合って、いつの間にか『オシャレ=男に媚びるもの』という認識にすり替わっていった。

さらに悪いことに、女子校には当然のことながら男子がいない。大概のことを女だけで進行する必要があった。だから、男なんて必要ない、女は一人でなんでも出来るし、それがカッコいいと小さい箱庭の中で思想が煮詰められていった。

そろそろ30代が見えてきたが、私は今でも「道化役」のままだ

大学は共学に進んだ。期待と不安を胸にくぐった教室で、待ち受けていたのはカルチャーショックの嵐だった。教室ではカーストも何も関係なく、平等にふんわりとチークで頬を染め上げ、髪は茶色くカールしていた。ナチュラルメイクとパステルカラーのスカートやワンピースが標準装備。

そして、何より男子がいた。私からしてみたら、小学生がいきなり成人男性になった様なもので、最早恐怖の対象だったのだけれど、同級生達はなんてことないような顔をして(実際なんてことないのだが)男子と仲良くなっていく。そんな異空間での振る舞い方がわからず、私はここでもお得意のおばさんムーブで逃げることを選択してしまった。

サークルの新歓で、私が隣の席になると男子があからさまに落胆したことを今でも覚えている。そんな反応をされると、更に私は意固地になった。そんな感じで、私は化粧気も浮いた話もないまま、4年間の大学生活を終えた。

社会に出てそろそろ7年、もう30代が見えてきた。今でも私は女を捨ててるおばさんキャラを貫き通しているし、周りの同僚達からもそういう扱いを受けている。所謂女子力が高い社員と私を比較して、イジっていい役回りだ。道化役として、周りには馴染んでいる。

でも、無性に虚しい。『オシャレをすること=男に媚びること』という図式が、間違っていることは流石にわかってきた。ヲタクであることがメジャーになり、知り合うヲタク仲間がビックリするくらい可愛らしいことが今や普通だ。私だって、人並みに可愛くなりたいし、可愛いと思われたい。

でも、今更おばさんキャラでやってきた私が、色気付く事への周りの反応が怖い。それに技術も知識もない私が努力することには、途方もない時間がかかる。可愛くなるって大変だ。

そうして何より、小学校時代から虐げられてきた私が言うのだ。今更、可愛くなろうとするのか? そんな事したら、あいつらが正しいって認めることになるぞ? と。私だけが子供のままで駄々をこねている。