中学校1年生の時に初潮がきてから10年間、いかなる時も生理と付き合って来た。体育祭、修学旅行、練習試合、はじめてのお泊まりに入社式。

生理前、生理中、生理後ですら私をまた別の人格へと変えて、生活を不自由にする。何年経っても慣れたようで慣れない。切っても切れない存在だ。

子供を産む気はないのに「生理」に振り回されなきゃいけないのだろう

トイレに入り下着を下ろして目が合う赤色に、何度ため息をついただろう。生理なんていらない。生理なんてこなくていいのに。何度唱えた事だろう。

生理は恥ずかしい。生理は隠すもの。いかなる時も気丈に振る舞うことが女の務めだといわんばかりの男性社員や、セクハラまがいの発言をする男性上司。

だからといって、女性同士が必ずしも理解し合えるわけではない。「生理くらいで」と、自分の普通と比べて、陰で眉をひそめる女性も多くいる。

なんて生きにくい世界だろう。消えてしまいたい。生理が連れてるガラスのハートに何度そう思わされた事だろう。

「生理は赤ちゃんのベットの準備をしているんですよ」と学生の頃保健の授業で聞かされた。「だったら私いらないや」と思った。私は将来、子供を産む気はない。子供が嫌いなわけではないけれど、欲しいとは決して思わなかった。それなのにどうして私は生理に振り回されて、これからも振り回されながら生きていかなきゃならないんだろう。

1週間以上生理が遅れ、さらに1週間しても来なかったので病院へ行った

それほど疎ましく思った生理だが、今は何度トイレに行ってもその赤色が見当たらない。予定日から1週間以上遅れている。彼氏とは先月別れたし、そういうことをする相手は他にもいた。

生理が来なくてもおかしくないような事を何度もしたくせに、いざその場になると心臓の音は驚くほど早かった。「妊娠したかもしれない」と相談する相手はいなかった。

相手を特定できなかったし、子供の頃から私よりも男を優先する母親や上辺だけの友人に相談する気にはなれなかった。焦る気持ちを抑えるようにネットで様々な事を調べて、自分自身に生理不順である事を言い聞かせた。

倦怠感や腹痛、イライラなど、とうとう生理だという準備が整ってきた。それから1週間経ったが生理は訪れず、やってきたのは極度の吐き気だった。平然なフリをしてドラッグストアで妊娠検査薬を購入し、トイレの中、震える手で検査結果を見た。

心臓はスピードを増していた。自分自身を認めたくなかったが、次の日に病院に行った。妊娠7週目だった。

「終わった」それが1番に思ったことだった。モニターに映し出された薄暗い物体に、かわいいなんて1ミリも思えず、焦りと止めどなく来る吐き気に対する嫌悪感だけが残った。

妊娠して、母に対して抱いていた「感情」を納得できるような気がした

医師の言葉がするすると耳をすり抜けていく。その時にふと思ったのは、自分の母の事だった。「産むしかなかった」。昔、私に対する愛情を感じられない母への質問にそう言われた。

産むにも産まないにしても期限があったり、お金もかかる。きっと母もこうやって焦って病院に来て、薄暗い物体を見てそれでもどうする事もできなくて、仕方なく私を産んだんだろうな。1ミリもかわいいと思わないまま、誰が相手かも分からないまま1人で産んで、私を育てたんだな。

ずっと母に対して求めていた愛情。ずっと母に対して抱いていた寂しさや疑問、怒り。全てが納得できるような気がした。

私は母を見て、自分は子供はいらないと昔からずっと思っていた。子供を愛せる自信がないし、どう接すればいいのか想像もつかない。私がいるせいで不自由をしている母を見て、あんな風になりたくないと無意識に思っている自分がいた。

「産まなきゃよかった」。母みたいにそんな事、人生で一度だって思いたくない。怖くて、気持ち悪い。私のお腹の中で、何か別の物体が存在している恐怖に息が苦しくなった。

赤ちゃんは親を選んでくるというけれど、本当に選んできたのならば、その子は私に似て大バカだ。産んでもらえないと分かっていながら、私のところに来たんだから。もっともっと大切に愛してもらえる人のとこに行きなよ。

あれから何度も生理が来たけれど、来るたびにあの時のことを思い出す。生理が来ても来なくても、私は生理に振り回される。あの赤色を見て憂鬱になり、あの赤色を見ずして不安になる。

生理なんていらない。子供を産む為の生きている理由なんていらない。私は一生産んであげられないから。