もう一度大学に通えるのなら、迷わず女子大学を選ぶ。

私は高校生まで、公立の共学で学んできた。クラスの半分は男子、部活も委員会も男子と共同で行うことが当たり前の生活だった。

中学生の時は、やんちゃな男子生徒にずいぶん苦労したものだ。大人しい女子はすぐに泣かされてしまうし、平気で先生に暴言を吐く彼らに、同い年ながら愛想をつかしていたのを覚えている。

高校では、勉強と部活に熱心な生徒が多く、男子ともようやくまともな会話ができるようになった。

滑り止めの女子大学に進学した。そこは多様性にあふれた世界だった

発端は高校3年生、私は滑り止めで受けていた「女子大学」へ進学することを決めた。
正直なところ、そこしか受からなかったのだ。共学が当たり前だった私にとって、女子だけの学校は想像できず、かなり困惑した。

女子だけの世界では、出所のないうわさ話や、ねちねちした陰口が蔓延するという、勝手な偏見を持っていたからだ。

女子校へのマイナスイメージと、それに伴う恐怖を抱えながら「女子大学」へ進学した私は、ものの半年で「女子大学」に対する考え方が180°変わった。全国各地から学生が集まるという大学の性質もあるだろうが、そこは多様性にあふれた世界だった。

夏季休暇を利用して海外ボランティアに勤しむ学生、熱心に図書館へ通う学生、資格取得を志す学生など、自発的に行動する学生が多く、私自身も彼女たちから刺激を受けた。

共学では男子が主体だった部活も委員会も行事も、すべて女子が創り上げる姿に感銘を受けた。私も、学生100人規模の演劇プロジェクトに参加した経験があるが、そこでも熱心に話し合いを重ね、全員で意見を出し合うことで、女学生主体のプロジェクトを成功させた。

活動の中では多くのぶつかりもあったが、私が恐れていたようなうわさ話や陰口などは一切なかった。よくよく考えてみると、私が経験した女子同士のうわさ話や陰口は、ほぼ男子の存在が関わっていたように思う。「男子の前で可愛い子ぶる」「好きな男子が同じ」など、およそ女子だけの世界では起こりえない話だ。

女子大学生に対する衝撃の記事。私にとって女性蔑視は他人事だったのだ

1年もたつと、「女子大学」は私にとってかなり居心地の良い場所になっていた。
しかしそこに衝撃の記事が飛び込む。女子大学生を性的な目で見るランキングが載った記事が出されたのだ。

複数の大学が挙げられ、上位には女子大学の名前が連なった。破廉恥を通り越したこの記事は世間からかなりのバッシングを受けたが、当の女子学生たちは暢気なものだった。私自身も、「えー、やばーい(笑)」と友人と苦笑いしただけである。

しかし、その記事が話題に挙がった日の授業でのこと。いつものように授業が始まると思っていたその矢先、女性教授が「この記事を容認するな、悔しいと思え」と私たちに投げかけた。

教授の目は、悲しみか怒りか、とにかく並々ならぬ感情を持って私たち女学生へ訴えかけていた。
普段穏やかな教授がここまで感情を抑えきれていない姿を見て、私はどうして苦笑いで済ませてしまったのか、他の情報を集めることもせずに容認してしまったのか、と反省した。

女性蔑視やジェンダーレスをなくそうと世界が動いているのに、授業でもジェンダーを学び、関連本も多く読んでいたはずなのに、結局私にとって女性蔑視は「他人事」だったのだ。

女子大学は、女子の可能性に気づき、女子であることを大切にする場所

この反省から私は、SNSやニュースサイトでジェンダーギャップ、とりわけ女性蔑視に関する情報を意識して取り込むようになった。就職活動でも、女性の管理職登用や女性の働き方を重視している企業に注目し、就職先を決めた。

女性蔑視問題を解決するためには、「私」という小さな存在からでも、意識的に動くことが必要だと気づいたからだ。

「女子大学」は、単なる「女子だけが入れる大学」ではない。そこは「女子の可能性に気づき、女子であることを大切にする場所」である。男性ばかりが上層部を占める社会人となった今、常に女性の可能性や力を期待し続けているのも「女子大学」での出会いや、教えの数々があったからだ。

私たちならできる、女性蔑視を容認しない社会にしてやるぞ、と闘志を燃やしながら、「女子大学」で学べた4年間を誇りに思う。