今でも忘れたいのに忘れられない記憶。それは、私が死んでしまった時の記憶。
昔、飲食店に勤めていた。働き始めてから、もう5年になる場所だった。
その時には20代とはいえ、やりがいや責任も十分。人間関係も概ね良好。忙しく走り回って、仕事で1日があっという間に過ぎていく…そんな毎日だった。
「このまま、何年と過ぎていくんだろうな」
そう信じて疑わなかった。けれど、「死」は静かに忍び寄っていた。
バイトを始めたのは学生時代だった。接客は嫌いじゃないけど、いつも怒られてばかりだった。けど、落ち込むことはあっても引きずることは無かった。落ち込んでもいつも「大丈夫まだやれる」って言い聞かせてきた。
あの時の私は「怒られるうちが花」と思っていたし、それ以外は楽しかった毎日だった。この時もう、知らぬ間に心は悲鳴を上げていた。私は、それに気づけなかった。
上司に突然呼び出され、雰囲気で怒られることだけはわかった
7月頃、私より2つ年上のC汰という新人が入ってきた。C汰は要領が良くて、物覚えがはやい。マイペースなところはあったが自分をしっかり持っていて、まわりに愛されるような、クールな男だった。
決してそんなつもりじゃなかった。だって好みではなかったし……。けれど、私にないものを持っていたC汰に、気づけば惹かれていた。
それでも、何も言うつもりはなかった。特に、一緒に働けるならそれだけで良かった。けれど、中々上手くはいかなかった。
C汰と一緒に働くようになって1年がたち、私は上司に呼び出された。雰囲気で怒られる事だけはわかった。けど、何について怒られるのか検討がつかなかった。それどころか、怒られすぎてこの時にはもう「怒られる」という事実のみに恐怖するようになっていた。
「また迷惑を掛けてしまったのだろうか」「怒られるうちが花」そう思えた私は、もう何処にも居なかった。「他人に迷惑をかけた」。それだけしか考えられなかった。
それだけが巡る中、上司が口を開いた。
「C汰が同じ同僚のS美と一緒に居る時、お前が凄い顔で睨んでいる」
そう言った。何を言っているのか分からなかった。
「普通じゃない」。上司の言葉が頭を巡り、病院へ。結果はADHD
私は、ただ見ることはあっても、睨んだことなんて1度もなかった。けれど上司は
「そんなはずはない。確かに睨んでいる」「もし仮に、そうじゃないのであれば普通じゃない」
そう言った。
「普通じゃない」。それだけが頭を巡った。それ以上なんて頭に入ってこなかった。
その日の仕事は、どうしても、明るくなんて出来なかった。それでも「大丈夫、大丈夫だから。まだやれる。まだ進める」そう繰り返し言い聞かせて、笑った。
その時はじめて、自分が普通ではないことを知った。普通ではないことを知って、病院に行くことに決めた。これ以上、誰かに迷惑をかけたくなかった。
すごく行きたくなかった。他人と違うと認めるのが怖かった。それでも、自分のせいで誰かに迷惑をかける方が怖かった。
だからこそ出向いた心療内科。3ヶ月の日にちを使って何回かのテストを受けた。そこで出た結果は……「注意欠陥・多動性障害」(通称ADHD)。
その中でも私は、断トツで人の評価を気にしすぎてしまい、若干の注意力に欠けるタイプだった。
出てしまった結果を、3日程かけて受け入れた。仕事に出勤し、上司に結果を伝えた。
上司から出た言葉は……「嘘だ」と疑う言葉だった。
「自分の周りには同じ疾患の人がいるけど、お前みたいな様子じゃなかった」
「お前のそれは甘えだ」
全面否定だった。
限界はとっくに迎えていたのに、まだやれると言い聞かせ続けていた
段々と頭が真っ白になっていった。呼吸が出来ない。汗が出る。耳鳴りが止まらない。
「ごめんなさい、待って……」
遂には立っていられなくなった。しゃがみこむしかなかった。典型的な失神だった。遠くの方で上司の怒鳴り声がする。
「嘘つくな!立て!それが自分(上司)のせいだって言うなら診断書持ってこい!!」
その他にも色々怒鳴っていたが、何を言っていたか聞こえなかった。
「ごめんなさい……すみません…」
私にはそう繰り返す事しか出来なかった。とっくに限界を迎えていたと思う。
それでも、私は「大丈夫、まだやれる。私が悪いから、やってみせる」そう言い聞かせ続けた。けど、その日は突然訪れた。
雪がチラつき始めた月の最終日、皆が上司に集められた。C汰は公休の日だった。
「C汰が今日を最後に退職することになった。前々から話は出てて、本人経っての希望で事前に言わなかった。気を使わせたくないというC汰の気遣いだと思って受け止めて欲しい」
その言葉と共に、今度は私だけが呼び出された。嫌な予感しかしなかった。上司の元へいくと、こう告げられた。
「C汰は恐らくお前の好意に気づいていた。事前に言わなかったのは、主にお前に対しての配慮じゃないかと思う。全てが自分のせいと責めることはないが、受け止めるように」
頭が真っ白になった。この時には既に私はもう壊れていた。
未だに夢に見て、進めないまま。それが「大丈夫」と偽り続けた結果
「私のせい」「私が、その選択をさせてしまった」それしか考えられず、どんどん指先から温度が抜けていくのを感じた。
「C汰の思いを配慮して、多くは言わない。上司としては言ってはいけないけれど、1人の人として自分(上司)はお前のことは最悪だと思うよ」
それがトドメだった。「あぁ、私の存在がもう、人を傷つけるのか」そう思ってしまった。思ってしまったら最後、もう何も感じなかった。「大丈夫」とはもう、言えなかった。
この日を境に私は、人と接する事が出来なくなった。
なぜなら身体が勝手に震えるから。呼吸が出来なくなるから。
外にも出られなくなった。何にも興味がわかなくなった。「消える」ことばかりを考えるようになった。それは実質、生きながら死んでいるようなものだった。
これが私の心が死んでしまった日の記憶。
歩みを止めた日の記憶。
この日から3年、周りのおかげで無理やり仕事に就けるようにはなった。それでも「消えたい」と願わない日はないし、眠れば未だに夢に見る。未だに進めないまま。それが私の「大丈夫」と偽り続けた結果だった。
「大丈夫」と偽り続けてはいけない。
なぜなら、身体や心のSOSに「大丈夫」と偽り続ければ、そこに待っているのは心の「死」なのだから。