私の育った農村は山の中にあり、自然豊かなところだ。家から一番近いコンビニのある隣町まで車で20分。市営のバスは一日に4本。最寄りの駅までは車で40分もグルグルと山道を降りなくてはたどり着かない。
あるのは山と畑と田んぼと静かに広がる青空だけ。
山の中にある少人数の学校で過ごした私は、恋に悩むことなどなかった
小・中学生時代を私は、その山の中のとても少人数の学校で過ごした。学校は標高800メートルのところにあり、北アルプスの山々を一望できる。寒くなった冬に見る、雪化粧をした北アルプスは息をのむほど美しい。学校の周りには桜の木が多く植えられていて、学校へ行く最後の上り坂にいつも早咲きの桜が一本だけあったことを良く覚えている。
全校生徒は20人弱のそんな学校にいては、恋について悩むことなど全くなかったけど、澄んだ空気と冷たい水、自然の中での日々は小さな発見があふれていて毎日が楽しかった。
家の近くにあるお気に入りの散歩道は、木々に囲まれた森の水路沿いの小道。
木々は、春は淡く夏に向かって濃い緑になる。緑だけでも様々で、更に秋なら赤や黄色の色とりどりの木々の葉を見ながらゆっくり歩く。運が良ければリスにも出会える。腰を掛けられそうな木に登ってみたり、大きな木の幹に寄りかかり耳を澄まして木の声を聞く。
冬はシンとした森にザクザクと足音を立てながら歩く。雪の重さに耐えれなくなった枝や葉が、時折雪を降らせる。水路を流れる水はとても勢いが良く、冬には氷の雫がたくさんできる。それが太陽に反射してキラキラしていると、それはまさに大自然の宝石だ。
都会の一人暮らしは何もかも違うように見え、毎日が新鮮で楽しい
しかし今私は、都会の真っただ中にいる。この春、夜間大学に通う大学生になり、同時に仕事も始めたのだ。
いきなり都会で一人暮らし、少し狭いけれど住みやすく自分なりに工夫した部屋は、私にとって初めての一人部屋だ。
窓から見えるのはうっそうとした緑ではなく、マンションと住宅街、それに車と自転車とさかさかと急ぎ足で歩く人々。山などどこにも見えない。
田舎では空がとても広く、月も星も空を見上げれば見ることができたが、今のところからではビルの間から少し星空が見えるといった感じだ。夜に自分の部屋の中の電気を全て消しても、外の街灯の灯りがカーテンの隙間から入ってきて、真っ暗にはならない。
文字通り、全然違う。
何もかもが違う様に見えるし、そう感じる。けれどもワクワクとドキドキがいっぱいで、毎日が新鮮だ。
自分の環境が変わるということは大変な面ももちろんある。でも、新しい環境の中には、まだ知らない世界へつながっている扉がたくさんあるのだと思う。まだまだ半人前だが、前よりは少し自分の足で立てているのではないか、そう思うと毎日がとても楽しいのだ。
自分の道を歩く途中で、手を繋ぎ一緒に生きていける人と出会えたら
ところで、先日読んだ週刊誌の記事(週刊金曜日 2021年3月12日発売 1320号)で田中優子さんという方のこんな一言が、とても心に残った。
「私はより深い共感のために他者を知りたい。日本の様々な地域と他国の歴史と現状、環境問題、気候変動、宇宙のありようまで、認識の領域を広げることが、他者をより深く認識するための道なのである。それが本来の学問の目的なのだ」
これまでの自分を取り巻く環境や世界、やってきたこと、選んできたものが、今の自分をつくっている。そしてこれからの自分が、これからの自分を確かにつくっていく。
私は、そんな自分の道を歩いていく途中で、いつか、手を繋いで一緒に生きていけるような、そんな人と出会えると良い、そう思う。
私の恋が始まる時とは、生き方に共感できる人との出会いであると思う。毎日の生活の中にたくさんの発見を見つけながら、まだ見ぬ恋人との出会いを密かな楽しみに過ごしていきたいと思う今日この頃である。