私の住むスイスの街には、標高2132mの山が近くに聳え立っている。以前住んでいた寮は、部屋の窓からその山を眺めることができた。毎日色んな表情を浮かべるその山はとても美しくて、ずっと登りたいなと思っていた。地図でルートを確認すると片道4時間。真上から見る地図では、さも簡単そうに見えた。
開け放たれた窓から吹く冷たい風が頬を撫でた。あ、行くなら今日かも
2020年7月のある日の朝。朝ごはんを食べているとき、開け放たれた窓から吹く冷たい風が頬を撫でた。
あ、行くなら、今日かも。
そう思った私は、リュックに水筒とバナナを詰め込み、適当な格好と柔らかいスニーカーで、無謀にも2132mの山に挑むことにした。
目標達成を山登りに例えることがあるが、実際に山登りしてみるとよくわかる。
ひたすら歩き続け、背後の景色はどんどん遠ざかっているのに、目の前の山はなぜかずっと同じ場所にある。何で近づかないんだ?とやや焦りを感じながら、またひたすら歩き続ける。すると山は少しずつ近く、大きくなる。
森に入ったりして、角度によって山は見えなくもなる。それも、同じ。大きな目標を掲げた時、見失うこともあれば、気が遠くなるような距離に、足元を見て前に進むことだけを考えるようにしたり。
諦めたくなったら潔く帰ろうと思っていたけれど、目の前に山が見える距離になった時、ここまで来たら引き返すのは勿体ない…と前進を続けた。その時もうすでに2時間経っていた。
そこから頂上手前にある教会までの1時間半は大変だった。急勾配なうえ、ゴツゴツした大きな岩をいくつも乗り越えなければならず、そこでようやく靴を間違えたことに気付いた。
すれ違う登山客が、私の足元を見て一瞬ギョッとする。「その靴は危険だよ…」と思わず口に出してしまう人もいた。けれど引き返したくない私は、我慢して登り続けた。教会に着いたときには、もう既にヘロヘロだった。少し休んでバナナと水を摂取すると、最後の道を突き進んだ。
到達する頃には新たな目標が浮かび、達成感を感じている時間は少ない
そこから頂上まではそんなに遠くないはずなのに、およそ2時間もかかった。「滑落注意」の看板があるほどの絶壁で、また標高のせいか真夏なのに空気は冷たかった。山登り初体験の私は、30歩進んでは止まり、また30歩進んでは止まり。頂上はすぐそこに見えているのに、心の底から気力を絞り出さないと前に進むのも難しかった。そして最後の気力を出し尽くしてようやく、頂上に辿り着いた。
頂上はたくさんの観光客で賑わっていた。この山は二方向から登山電車が走っているから、お金さえ払えば楽々登って来られるのだ。涼しい顔の観光客を横目に、膝が笑っている私は売店でコーラとポテトを買って、昼食にした。ぼーっと景色を眺めながら、どうやって帰ろうかな、と考えていた。
目標を達成したときも、意外と達成感を感じることは少ない。目標を達成する頃には、いつも新たな目標が浮かび上がっているし、達成感を噛み締めている場合じゃないことが多いからだ。けれど今回に関しては、満足感はあった。私が歩いた約5時間半。標高2132mから見る地球はとても美しかった。
頭はスッキリし、空っぽの頭で見る景色は、特に鮮やかに見えた
私は5時間半歩きながら、色んなことを考えることができた。そして何も考えられないくらい疲れると、頭はスッキリした。空っぽの頭で見る景色は、特に鮮やかに見えた。湖は穴みたいだし、空と地球の境界線は神秘的に白く光っていた。
ちなみに私はその後、来た道を4時間ノンストップで帰った。万歩計はなんと4万歩を超えていた。脚はもはや生まれたての子鹿どころの騒ぎではなかったし、それから数日間は背中の謎の部位が急に痛んだりしたので、恐らく無理はしていたようだ。
みんな一度山に登ってみればいいと思う。私はこの旅のおかげで、若さと体力を再確認できたし、きっと今後の目標も乗り越えられるだろうという自信もついた。けどもし登る際は、ちゃんとした登山用の服装を着て事前に練習することもおすすめしたい。