私はとにかく立ち止まること、休むことが大の苦手だった。
高校を中退して、昼も夜もアルバイトを掛け持ちして働いた。

お金がなくなることへの恐怖や、何もやらない自分が人間としてダメな烙印を押されそうな恐怖など。認識できていない焦りのようなものが常にあった。

「頑張らなきゃ」
「働かなきゃ」
「人に認めてもらわなきゃ」
「枠からはみ出ないようにしなきゃ」
「人に迷惑かけないようにしなきゃ」
など。

周りはみんな敵。頑張りすぎるくらい頑張って日々必死だった

とにかく日々必死だった。
保育士になりたかった夢を思い出し専門学校へ通ったときも、母子家庭で親からの資金援助は無理だったため、奨学金をいくつも借りて、足りない分は風俗の仕事でまかなった。
とにかく「ちゃんとしなきゃ」が強かった私は人に頼ることもできず、風俗で働いてることを誰にも言わずに弱音も吐かずに、保育士になるためにただただ頑張った。

今思えば頑張りすぎるくらい頑張ってたわりには、自分に対する労りも感謝もなく、頑張ることが当たり前だと鞭ばかり打っていた。

そんなのだから、アルバイトもせず親に学費を出してもらって学生の時間を楽しんでいる同級生が、羨ましくて仕方なかった。
でも、羨ましいと認めることも悔しくて、負けたようで、「こいつらいつか苦労するわ」って見下して馬鹿にすることで何とか心を保っていた。

そんな心も開かない、人を見下す私が学校で信頼し合える友人なんてできるはずもなく、学生時代はあまりいい思い出がない。
私自身があの頃はまだ、周りはみんな敵だと思い込んでいたのもあるだろう。

就職して、頑張り癖はさらに強くなった。心も体も苦しかった

専門学校を卒業して、就職したあとも私の頑張り癖は治まることもなく、むしろお給料をもらうことで頑張り癖はさらに強化された。

使えないって思われないように、変なやつって思われないように、やる気がないって思われないように、頑張ってるって認められるように、すごいって認められるように、人から嫌われないように。

とにかく必死だった。
自分の心をずーーーーっと置き去りして、置き去りにしてることにすら気づいていなかった。
でも、少しずつ心も体も苦しくなってきて、頑張りたくても頑張れない状況が出始めた。
頑張らなかったら私の価値はないと思っていた私にとっては受け入れられなかった。苦しかった。

そんな時に、決定的な出来事が職場で起きた。
ご飯も食べられないほどの精神状態になり、そこでやっと私は歩みを止めることを選んだ。
頑張ることをやっと諦めて手放したのだ。

頑張らなくても、人に認められなくても、枠からはみ出ても、人に迷惑をかけたとしても、「それでもいいんだよ」って言ってくれる人が世界に一人でもいいから現れてほしいと思った。

そして、そんな存在に私自身がなろうと思った。
「どんな自分も愛したい」
その時の私の強い望みだった。

歩みを止める決断をした。欠点も自分で愛せるようになってきた

あの時の私と比べると、今の私は自分の愛している部分がかなり増えた。
いい部分だけではなく、欠点と思われるような部分ですら自分で愛せるようになってきた。
それでもまだ100%ではないだろうけど。

あの時、歩みを止める決断をした私に今、拍手を送ってあげたい。
何かを辞めたり、手放したりすることは恐怖や痛みを伴う。
そんな恐怖や痛みから逃れるために頑張ることに逃げていたんだ。

でも、そんなことをしていたらいつか心も体も悲鳴をあげる。
それをまた見ないように感じないようにしてどんどん感情を味わえなくなる。
生きてる実感を味わえなくなる。

そうなったことがあるからこそ、あの時怖いのに歩みを止めてくれた自分には心から感謝しているし、あの時の出来事のおかげで、心や体が拒否反応を出した時にすぐに気づけるようになった。

心の感度が上がってきて、自分のことを知り、自分の扱い方、守り方も分かるようになってきた。
今でも歩みを止めることも、休むことも、手放すこともその都度、怖さは出てくる。
それでも、自分のために今の自分が望む選択をいつだってしていきたいと思う。