私は生き方が不器用だ。自分でも分かっているが、間違った方向に突っ走ってくことがもはや得意分野となっている。

人一倍負けず嫌いなせいか、何かをやりだすと、つい、負けたくないと思って、夢中になりすぎる。だいたい、何に対して負けたくないのかも分からないが、たぶん、頑張っている自分に酔っているのだと思う。

そんな自分を好きになれないが、嫌いにもなれない。全く、大人になれていないまま、ここまで来てしまった。

同期に負けたくない。昇任試験のために好きだった趣味をしばらく封印

人はすぐに、他人と比べたがる。小学生の頃からテストとか運動会とかそういうのがあるたびに、必ず順位が付く。点数やタイムは必ず数字になって、比較対象となる。そうなると、なぜか真ん中くらいにいるのがおもしろくなくて、やっぱり1位を取った時の快感や満足感が忘れられなくなり、とにかく必死に頑張った。

社会人になり、就職する時だって、順位が付けられ、その番号は今でも付きまとう。そして、いったん就職してからも、私の職場には、昇任試験というものが存在する。

同期には絶対に負けてなるものか、と意気込む自分がいた。プライベートなんてどうでも良い。とにかく、休みの日も、昇任試験の勉強に明け暮れた。すべては仕事のため。好きだった趣味も、しばらく封印した。

バランスを取って、趣味と両立できれば良かったのだろうか、私にそんな器用な生き方が出来るはずがない。これと決めたら、一意専心。今は仕事だ、と自分に言い聞かせた。休日も平日も、仕事のことしか頭になかった。全てを仕事に注いでいた。

何のために頑張ったんだろう。3回受けた試験は3回とも落ちた

しかし、試験には受からなかった。3回受けたが、3回落ちた。そのうち、同期が受かって、自分が落ちるという現実を受け入れざるを得なくなった。
ふと冷静になった時、私は一体何のために頑張っていたのだろう、と悲しいというか情けないというか、完全に力が抜けていった。試験に受かった同期は、結婚して子供も出来て、プライベートも充実して。それに比べたら私は一体何なのだろうか。

仕事のことしか考えていなかったためにプライベートなんてゼロ。何を楽しみに生きているのかも分からなくなった。休みの日も、参考書をリュックにずっしり詰め込んで、必死になっていた自分がもはや恥ずかしく感じた。昇任試験に受かることが全て、そんな気持ちはいまやどこにもない。

今、私は歩みをやめたわけではないが、歩む方向をしっかりと考えないといけないと思っている。間違った方向に歩んでいったところで、行き止まりになっていたら、意味がない。

最初から、行き止まりとか、分かれば良いのだろうが、そればかりは歩いてみないと分からないから、私みたいな不器用な生き方の人間は、人よりも多く色々な方向に歩いていかないといけないし、その分、時間もかかる。

自分がどんなに頑張っても、結果として評価されないことは山ほどある

「努力は必ず報われる」よく色々な場面で使われる言葉ではあるが、私は正直、この言葉を信じていない。いや、信じていたが、大人になると、そんな夢物語のようにはいかないという現実も存在するということを知った。

間違った方向に努力しても、自分にとって、それが努力なら、自分の中では努力であることは間違いない。ただ、その努力が「結果」として、第三者にも認められるかどうか、それは他人が評価する、あるいは数字として出ることなので、自分の中での努力度とは、比例しない。

だから、自分がどんなに頑張ったとしても、結果として評価されないことなんて、山ほどある。歩みをやめること、それは、非常に大切なことだ。特に、突っ走ろうとする時こそ、一度冷静にならないといけないのかもしれない。
   
「人生に無駄なことなどない」という言葉もよく聞くが、正直、私は今までたくさんの「無駄」をしすぎた、と感じている。いつか、今、無駄だったと思うことが活きてくるときが来れば良いが、それが分かるまでは、とりあえず、自分なりに歩いていこう。自分のペースで、自分の選んだ道を。