社会人2年目、24歳の春はコロナのこともあって、いつになく毎日世間が騒がしかった。職業内容上、それによって大きな影響がなかったのは不幸中の幸いだったが、むしろ忙しかった。

職場にこもる毎日は2ヶ月ほど続き、適応障害と診断された

朝7時から夜11時まで、職場に籠る日々が続いた。まだまだ効率よくこなせない業務に加え、新たな業務に携わるようにもなった。

同じ職場に、私以外に2人の上司がいるが、創業して13年目の会社にとって、7年目と12年目の大ベテランだ。不器用な私は、分からないことも分からなかったし、いつの間にか身に付いたプライドが邪魔をして、「手伝ってください。」と言い出せなかった。そんな生活が2ヶ月半程続いて、適応障害と診断された。

その頃の私は、喜怒哀楽、とにかくどんな感情にも鈍くなっていた。何にも染まらない、無色の状態だった。でも、無職にはならなかった。仕事の本業(子どもと関わること)は、素直に好きだったからだ。身体の調子を整えながら、毎日重たい足を運んで職場に向かった。
 大好きだった食べることや音楽を聴くこと、写真を撮ることへの興味も薄れ、自分の本質を見失いかけていた。

「私はだれ?」
と、自分に問いかける日々が続く。でも一向に返事はない。確かにここにいるはずなのに、その存在を証明する根拠がない。思えば、こんなにも自分に語りかけることが今までにあっただろうか。

一つだけ確かなことがあった。困っている人がいたら声をかけたり、これは〇〇さんが好きそうだから買おうと思ったり、他者への気持ちは1ミリも削られなかったのだ。
あぁ、私の中の良心は、まだ残っていたんだ。

「いい子」に見られる努力を続けてきた。両親から転職の話が出た

私は、昔からいい子に見られるように心がけてきた。勉強も運動もそれなりの努力はしてきたし、誰に対しても笑顔で接したり、横断歩道の信号で青点が始まると必ず立ち止まって次の青を待ったり、お年寄りに席を譲ったり、学校の先生だけでなく、近所のおばさん、友達、家族にまでいい顔をしてきた。ただ、偽善者になりたかっただけなのかもしれない。
でも、いい子に見られたい私も、いい子に見られるように努力する私も、全部同じ私なのだ。

お盆に実家に帰った時、両親から転職の話が出た。それは、地元にもどってくることを遠回しに示していた。元々数年たったら地元に戻る予定だったので、ある意味私にとってこれがベストタイミングなのではないかと思った。

ちなみに、両親には未だに診断の話はしていない。きっと大変な心配をかけるだろうし、父親は訳もわからず見えない相手に向かってブチギレるところが想像できたからだ。

まだ残暑が続くなか、人生初の転職活動が始まった。
適性検査、教養試験、2度の面接を経て、なんとか次の職場が決定した。2020年の冬、私は辞める意向を伝えた。両親は年内でと言っていたけれど、私は職場に来る子どもが好きだから、年度末で辞めることに決めた。3月までの間、今まで耳を傾けられなかった自分の声を、一生懸命に聞いた。

理解してもらうより、周りに「合わせる自分」を認めていた

自分に問いかけて、見つめ合って、話を聞いてあげて、耳を傾けて、そうやって初めて気づく自分の姿。客観視できるものを表すのって意外と簡単な気がしていた。

でも自分自身は見えない所が多い。見た目も、心も、性格も。だから自分の気持ちを言葉で表現するのってとっても難しいんだと。だから、いつの間にか自分を理解してもらうより、周りに合わせる自分を認めることの方が多くなっていた。私って意外と面倒くさがりなんだ。

子供のとき、大人になったら、自然に何にでも上手く振る舞えるようになるものだと思っていたけど、それは理想だった。

いつしか転職すると決めた自分を、逃げているようで認めたくない気持ちもあったけど、今は、そんな自分もおんなじ1人の自分だと、精一杯受け入れてあげようと思えるようになった。そうしたら少しだけ自由になれた気がした。

この選択が正解かどうかなんてわからないけど、間違いではないことは言い切れる。どうかこれからの未来がちょっとだけ幸せでありますように。

今日も、世界に取り残されないように、置き去りにされないように、ありのままの私で生き過ごそう。