私にはふるさとが2つある。
ひとつは京都の田舎町。もうひとつは東京の田舎町。
小学校を卒業するまで京都で育ち、その後東京に引っ越してきた。今ではもう東京在住歴の方が長くなってしまったけれど、どちらも私を育ててくれた、大事なふるさと。
思春期真っ只中に突然、大好きな京都の田舎町から大都会東京へ
生まれてから12年。文字どおり家の隣に山と川があり、1番近いスーパーも車で10分。学校行事は毎年登山。そんな京都の田舎町でのびのびと育った。
親世代だけでなく、同級生もおばちゃん並みの関西弁。放課後は、男子に混じって毎日サッカーやバスケをしていた。1学年に2クラスしかない狭い世界だったから人間関係に悩むことも多かったけど、先生にも恵まれて、みんなのことが大好きだった。田舎で嫌だと思ったことは一度もなかった。
当たり前のようにみんなと同じ中学校に進むと思っていたけど、両親の離婚で、母親の実家がある東京に引っ越すことが決まった。
田舎でろくに遊びに行けないこの街も、毎日くだらないことでゲラゲラ笑って一緒に過ごした同級生たちも大好きだったのに。
「東京なんて行きたくない」
そう思っても子どもの私はどうすることもできず、中学生という思春期真っ只中のタイミングで、田舎町から突然“東京”という大都会に飛び込むことになってしまった。
「こ、これが東京……!」。東京での日々はカルチャーショックの連続
実際引っ越してきた土地は、大都会でもなんでもなかった。というのも、東京でも23区外で、都内では十分“田舎”と呼ばれるような地域だったからだ。
そうは言っても見知らぬ街、見知らぬ人だらけ。
真四角のスクールバッグに、長いスカート、真っ白のハイソックス。まさに制服に“着られている”装いで、怯えながら参加した入学式。
一番の衝撃は、入学式に遅れて参加してきた同級生女子二人。金髪に短いスカートで、いかにもだるそうに入ってくる。
「こ、これが東京……!」
金髪の同級生を見たのは、この日が生まれて初めてだった。
それからの日々も、カルチャーショックの連続。
授業中立ち歩く人はざらにいる。むしろ真面目に授業を受けている方が記念物だ。
テストで100点なんて取ろうものならもはや異端児扱い。
窓ガラスが割れるのはしょっちゅう(最後の方は慣れた)。
ヤンキーたちが消火器の栓を抜いて、廊下が煙で真っ白になっていたときは驚きを通り越して笑ってしまった。
さすがに今までいた世界と違いすぎると思い、地元の子達に「こういうの普通なの?」と聞いたことがあった。
返ってきた答えは「うん、だいたいこんな感じだったよ~。小学校のとき、先生がいじめられてやめちゃったこともあった~」。空いた口が塞がらなかった。
あんなに来たくなかった東京も、今となっては大事なふるさと
そんな同級生に囲まれ、揉まれながら過ごした3年間。
私が卒業すると同時に、入れ違いで同じ中学校に入学した弟から「当時姉ちゃんの学年持ってた先生が、『お前の姉ちゃんの代はここ数年で一番手を焼いたなあ』って言ってたよ」と言われた。
今思い返しても、私の28年の人生の中であの3年間がダントツで特異な経験だった。
すごく出たかったつもりはないのだが、中学校卒業以降、たまたま高校、大学、就職先と実家からだいぶ離れたところに通った。
今は実家から少し離れた職場の近くでひとり暮らしをしている。
それでもずっと、「帰りたい」と思うのは実家のある東京の地元だ。
高校以降、中学校の環境とは比べ物にならないくらい整った環境に身を置いてきたけれど、外に出て初めて地元の良さに気づいた。
本当にいろんな人がいて、それでも許容されている感覚。
東京なのに呆れるほどの田舎な風景にも、駅前のちょっとガラの悪い感じの栄え方にも安心感すら覚える。
あんなに来たくなかった東京が今では大好きで、私は間違いなくこの街に育ててもらったのだと大人になるにつれて実感する。
幼い頃、穏やかな人と環境のもとのびのび育った京都の田舎町も、多感な時期にさまざまな人や物に囲まれて育った東京の田舎町も、私にとっては大事なふるさと。
帰れる場所がある安心感に感謝したい。