東京と違い、周辺のコンビニは車で10分。スタバは隣の隣町まで行かなければない。可愛いカフェやインテリア雑貨もない。
夏になればうだるような暑さを従え、冬になれば凍えるような寒さを従えてくる。
周辺にあるのは田んぼや畑。夜を照らすのは明るい街灯はなく、ずっと遠くに光る星や月たち。
大きな事件なんてそうそうなく、日々変わらない日常。そんな日常がある東北の生まれ故郷が嫌だった。

東京は体にあわず、嫌だった故郷が明日を乗り越える力を作っていた

東京で働き始めて気づいたのは、そうした普遍的な日常こそが珍しいということ。沢山の人込みがたえることがなく、夜なのに昼のような明るさを持つこの大都市は、どうやら私の体にはあわないらしい。
日々スーパーで買う野菜は私の知る野菜と違い、どこまでも絵から出て来たかのように均衡のとれた素晴らしい形をしている。でも、味は私の知るものではない。どこかよそよそしい、そんな何とも言えない味。
「人は食べたものによって作られる」という記事をどこかで読んだことがある。それはまさしく真理だと思う。私を作って来たのは故郷の味。家の目の前に広がる、お世辞にも人に食べられることを望んでいるとは言えない、自由に育った野菜たち。そんな野菜たちから私は日々力を得て、明日を乗り越える栄養をいつの間にか貰っていた。

「何をしてきたの?」と言われ、東京に私を支える栄養はないと確信

「貴方は3年間、日々会社に来て、何をしてきたの?」
東京に夢を持ってきた学生時代はとっくに通り過ぎ、希望とプライドを持って入った会社は日々私の精神をゴリゴリと薬研のような物ですりつぶしていく。仕事のミスは年数が上がっても消えることはなく、今年に入ってからはそのミスが余計に目立つようになってきた。心身ともに健康とはとてもじゃないが言えない。
そんないくつかのミスの際に上司から言われた一言。「何をしてきたの?」なんて、そんなの私も聞きたい。私が仕事の為に捧げてきたことは、そんな「何をしてきたの?」と片付くようなことではない。
時には睡眠時間も削ったし、体力や気力、精神だって捧げてきた。だからその一言で気づいた。もう、この東京で私を支える栄養は何1つないのだと。私に欲しいのは次の自分への肯定感なのか、自信なのか。とにかく、失った栄養を取るのは東京(ここ)ではない。
「今年度いっぱいで会社を辞めたいと思っています」
やっとのことで社長にそれを伝えられたのは、東京の鉄板のような暑さが続く日々の中で珍しく、肌寒さを感じるそんな日だった。屋上へと続く階段から見えた遠い空には黒みがかった重い雲がゆっくりと近づいてきている。

どうしようもなく無力な私を受け入れてくれる故郷を嫌えるはずがない

「どこか無理をしているように思っていたんだ」
そんな社長の一言に「ああ、やっぱり」という、どこか他人事のようなテレビでドラマを見た時の感想のような気持ちしか湧いてこなかった。そんな何とも言えない残りの日々が過ぎ、週末、私は故郷へと今年度で仕事を辞めることを家族に伝えるために帰る。
緑色が鮮やかにどの季節にも映えるスタイリッシュなフォルムの新幹線が、東京駅の熱帯的な空気を少しでも涼やかにしてくれている。乗客は時間的な問題なのかまばらにしかおらず、帰省の際いつも使う自由席の入り口付近、2人掛けの椅子を陣取る。
ゆっくりとホームを滑りながら加速する。移ろう景色の速さに過去に戻るタイムスリーパーの機械があったらこんな感じだろうと思わせる。
何駅か過ぎた後、到着した最寄り駅は、東京へと向かった日と比べどこか寂しさを感じる。母の迎えを待つ間、ふらりとホームを歩けば昔から知る知人のようにどこか温かくも寂しく、迎え入れてくれる。
結局、私はこのどうしようもなく無力な自分を受け入れてくれる故郷を嫌えるはずがないのだ。