「土、いじってみたらどうや?」
初夏のある日、無職で落ち込んでいるときに父に言われた。土いじり、つまり家庭菜園のことだ。

手が汚れるし、めんどくさい。虫にも出くわすし、時間もかかるしと、ふだんは、あまり父がしている家庭菜園には参加してこなかった。

時間はあるし、ええかもなぁと思って、その日のうちに種を植えた

うーん。そっか、確かにええかもなぁ。

無職でありあまる時間を過ごしていたあのときの自分は、素直にうなずいて、ホームセンターにそのまま足を運んだのであった。
細長いプランターと土、そして、その時期にまける野菜の種も買った。どうせなら、苗じゃなくて種から育ててみたいと、何となく、その場の気分で。

もうこのまま種まきもしてしまおう。
最初は軍手を使って作業をしていたが、途中で、ええい!と軍手を投げ捨て、素手で、土を触りまくった。
スコップも使って、土に小さな穴をほり、種を落としていく。
まいたのは、シソと枝豆の種。
早く芽が出たらいいなと思って、水やりをして、その日は終わった。

来る日も来る日も向き合って気づいた、いのちの眩しさ

シソの方が芽が出るのが早かった。
枝豆が心配になったが、毎日プランターを覗いてみると、緑色がちらっと見えて首を曲げた芽がもうすぐ顔を出しそうなときは、嬉しかった。
そして、地上に出てきてくれたときは、芽が出た!と、どこか自分の姿と重ねて心躍った。

それから、毎日私は野菜の世話をした。
いつのまにか生えてくる雑草を抜き、水やりをして、害虫対策をして、雨風が強いときは家の中にプランターを避難させた。栄養がちゃんといくように、辛かったが、まびきで芽を何個か抜いていく作業もした。

コツコツと一歩ずつ。ちょっとずつ成長していく植物たちがかわいらしくて。
えっ、こんなにも伸びてる!とびっくりするときもあって。それから、ぐんぐんと順調に育っていくのを見て、アサガオを育てていた小学生のころのように、日々を楽しんでいた。
そして、当たり前だけど、ああ、この植物たちも生きているんだなあ、生きているってすごいなぁと、元気をもらうことが多かった。
それから、私は家庭菜園をしながら少しずつ転職活動も始めた――。

次に向き合うのは自分。シソと枝豆にもらった栄養は自信になった

太陽がギラギラと照りつける昼間に、私はスーツを着て面接会場に向かう。
半袖、短パンで歩きたいところだが、やはり正装で戦わなくては。
蒸れるスーツを着て、絆創膏を貼ってパンプスを履き、緊張した面持ちで足を進める。
久しぶりに社会に一歩踏み出した感じだ。

無職の期間、不安もあったけど、ハローワークに通い、転職サイトに目を通して職務経歴書など、自分自身と向き合ってきた。
家庭菜園を通して、無職のときの自分は自信をつけていたのだと思う。
バカにされるかもしれないけれど、一つ一つの小さな成功体験が、あのときの自分には必要だった。
野菜を種から育てて、収穫して、その野菜を食べる。
無職の私は、シソと枝豆から心の栄養をもらっていたのである。