母が病気になった。わたしが小学5年生の秋だった。

母が病気になり、なんとなく「良い子でいなければ」と思うように

お風呂で「急に身体が動かなくなった」と叫んでいる母は、脳梗塞で半身が麻痺してしまっていたのだ。
小学生のわたしには、ついさっきまで元気だった母の左手足が動かなくなったことが悲しかった。

しかし、それ以上に当人の母はショックを受けていた。
母が入院している間は、父と二人で過ごした。
それから一人でご飯を食べるようになり、簡単な家事はわたしがするようになった。

その頃から、なんとなくわたしは「良い子でいなければいけない」と思うようになった。
とくに誰かに言われたわけではない、ただ病気になってつらそうな母に、心配や迷惑をかけてはいけないと子供ながらに思ったのだと思う。

その反面、わたしも母の病気で傷ついていた。母の悲しみやつらさは理解しているけれど、母の爪を切ったり着替えを手伝うときに、「なんで他のお母さんは普通なのにわたしのお母さんだけこんなふうなの」と残酷なことを考えていた。

「良い子でいてくれてありがとう」母の言葉に、自分の心に蓋をした

母が退院して、以前のようにとは言えないが、日常が戻ってきた。
ただ、わたしは「良い子でいなければいけない」と思う自分と、「母へのいら立ち」のような気持ちから、自傷行為をするようになってしまった。もちろん、気づかれないように。

母は、「自分が情けない」とよく泣くようになった。
例えば、包丁で野菜を切るとき。洗濯物を干すとき。もともと母は、気が強く、一人で何でも出来るタイプだったので、手足が不自由になったことに加え、誰かに頼らなければいけないことも嫌だったようだ。
そんな母を見た日は、夜に自室で自分を傷つけた。

「前のお母さんとは違う」「わたしが頑張って手伝ってあげよう」と自分に言い聞かせてながら。
わたしの努力が実ったのか、母は「良い子でいてくれてありがとう」と口にするようになった。
わたしはもっと自分の心に蓋をして、母の言う「良い子」でいようと思った。

自分を無理に抑えて「良い子」を演じても、それは本当の自分ではない

数年ほど経ったある日、母に自傷行為が気づかれてしまった。
わたしの部屋の血のついたティッシュを見て、気づいたようだった。
「きっと怒られる」そう思っていた。

母は「ごめんね」と言い、「自分のことで必死になりすぎていて、気づけなくて。良い子でいてくれるからと、安心してしまっていた。あんたもつらかったのに」とわたしに謝った。
わたしは悲しかったし、嬉しかった。

もしバレなかったら「自分がもっと頑張ってずっと良い子でいられた良かったのに」と思う気持ちと、「もうこれで良い子で居続けなくてもいい」という気持ちが同時に起こった。
けれど、後者の気持ちのほうが大きかった。

そして母は、「もう無理に良い子でいなくていいよ」とわたしに言ってくれた。
それからわたしは「良い子」でいることをやめた。
無理をして自分を抑えて「良い子」でい続けることは無理だし、そのうえ母を傷つけることになると実感したからだ。

今でも、自分を抑えて「良い人」になったほうが楽なんじゃないか、と思うときがある。
だが、そんなときにはあのころを思い出すようにしている。
自分を無理に抑えて演じたとしても、それは「本当の自分」ではないのだと、あのころのわたしは教えてくれる。