こんにちは、10歳の私。今どんな感情を抱いていますか?
今30歳を目前とした私は、約20年前の私に問いかけたい。どうして問いかけたいかというと、10歳の頃に家庭の状況が大きく変わる転換期を迎えたからだ。
私が10歳の頃、姉が不登校になり、状況を把握できず呆然としていた
遡ること約20年前、2つ上の姉が不登校になった。勉学もでき人当たりもよく、年下の私からみると誰からも好かれていた姉が、突然不登校になったのだ。
あの頃幼かった私は、その状況を全て把握していたわけではない。だが、ただならぬことが起きているんだ、という実感のみ感じていた。
母はよく「どうして学校に行きたくないの?」と質問していた。詳細を話したがらない姉に、理由を聞きたい母。どうしようもなく見守る父に、何となく状況把握だけした私。
その時点でどう行動していいかなど、まったく把握ができず呆然とするしかなかった。人生で一度も見たことのない母の涙と、ただ寄り添うしかできなかったであろう父の姿をそこで初めて見たのだ。10歳にして初めての経験である。
10歳頃というと小学4年生、何となく察するという行動ができるようになってきた年齢である。だが、それ以上のことはできない。純粋な疑問も疑問として伝えていいものだろうか、なぜ姉は毎日家にいてのんびりしているのだろうか。聞きたくても聞けない疑問ばかりが募っていった。
しかし、小学4年生となると友達が遊びに来たり、遊びに行ったり、はたまた友達の誕生日をお祝いしたりなど、学校生活以外となると遊びが中心となっていた。友達と遊ぶ、という小学生にはよくある活動の中で唯一忘れられない出来事がある。
当時の私は、母の眼中には「私がいないのだ」と悟った
それは、小学5年生のクリスマスだ。我が家は私が小学1年生になる前からクリスマスプレゼントというものが廃止されていた。だからこそ、クリスマスというイベントが個人的はとても大好きだった。
クリスマスプレゼントもケーキもないならば、友達とパーティーを企画するのが1番楽しく過ごせると思った私は、複数の友達とクリスマスパーティーを私の家で開催することにした。念のため、部屋を使うことは母にも了承を得て、プレゼント交換など様々な企画をしていたが、この頃、姉は完全に不登校となっていた。
その時、母から「お姉ちゃんが学校に行けてないのに、どうして休みの間にこんなことをするの?お姉ちゃんの気持ちを考えて」と言われたのだ。今でもそのことは鮮明に覚えている。そして、その言葉は今でも私を縛りつけている。
確かに、精神的な負担を負っている人の前で楽しいことを催すのは、善良とはいえないだろう。だが、当時10歳の私には、それが正解か不正解かなんて推しはかる技量はなかったのである。今思えば、無粋なことをしていたと思う節があるが、あの当時にその言葉の解釈をしてくれる人などいなかったのだ。
そんな当時の私は、母の眼中には私がいないのだと悟った。母もそのような状況は初めてだったはずであり、どうしてよいかわからなく、手探りであることは分かり切っていることだ。
しかし、その頃の私には理解が追い付かなかった。単純に、姉だけを守ろうとしているのだと感じた。
未だに昔母が言った言葉に苦しむこともあるけど、私は大丈夫だよ
未だに、母のあの言葉は私を苦しめていることがある。「気持ちを推しはかれるようになれ」ということなのか「(母にとって)姉が最優先」ということなのか。この2つの葛藤がたまに私を苦しめる。
姉には母が、母には姉がいればそれだけで十分なのではないだろうかと、心が沈む日もある。未だに私なりの答えは出ていない。答えを出そうと考えるたびに、私の心を苦しめるのだ。
だが、10歳の私へ1つだけ言えることは、乗り越えた先に、たくさんの友人に囲まれた未来があなたにはあるよと伝えたい。心が辛いときに、親身になって話を聞いてくれる人や、私に代わって怒ってくれる人、ただただ話を聞いてくれる人。
そしてなにより、20年以上も変わらず周りにい続けてくれる友人が多くいることが今の私の誇りである。当時の私からしたら、こんなに長い付き合いの友達がいるのかと思うだろう。今、周りにいる友達を信じていい、そのままの私でよかったと今、実感している。
未だに母の言葉に苦しく、悲しく、表現しがたい感情になることもあるが、友人には恵まれた人生を送っているのだと、声を大にしていいたい。だから、どうか悲観的な感情にならないで、そのままの私でいて欲しい。
あの頃の私へ、どうかこの思いが届いてほしいと願っている。