今年の夏は、青春なんていらない。恋も友情もいらない。ただ、受験勉強に向かい続ける日々があるだけ。

高校三年生の夏。どの夢も現実にするために、毎日努力をした

もう、高校三年生になった。来年は、大学生だ。私は、推薦入試を受けることが決まった。
私には、夢がある。国文学者になるという夢が。そのためには、大学も国文学に強い学校を選びたいし、特別奨学金制度にも受からなくてはいけない。
だから、毎日努力をした。しかし、それでも怖い。

努力は、いくらしても足りない。どんなに頑張っても最後に語るのは結果だ。結果のだせない努力は、ただの言い訳に過ぎない。誰かがそんなことを言っていた。
確かにそうだ。どうやっても結果が出なかったのならその努力は、甘えと同じだ。

姪のことも、なおざりにしてはおけない。他に育てられる人はいないのだ。私は、大学進学のために少し地元を離れることが決まっている。その間、姪は施設に預けられる。限られた時間を大切にしてあげたいし、施設に預けられる間も姪に仕送りをしてあげたい。
そのためには、大学入学後も安定した成績を取りつつ、バイトも探さなければならない。どの夢も、現実にしたい。

思い描いていた夏とは全然違う、自分を傷つけなくて済む方法

でも、それは同時に夢を現実にすることで起こりうる、どの責任も自分で背負わなくてはいけない。大人になるとはそういうことだ。その責任を全て背負った上で夢を追う。おぞましさや恐怖で、どんなに、足が震えても止まってはいけない。止まってしまっては、永遠の夢になってしまう。そうならないために、前を向いて走り続ける。

走り続ける中で対価が必要になってくることがあった。私は、その対価に夏の青春を捧げた。

私の夏には、花火大会も部活動の大会もない。毎日変わらず学校へ行って、先生に補習して欲しいと頼みに行く。思い描いていたものとは、全然違う。私の周りには、可憐な浴衣を身にまとい、ひらひら揺れる髪飾りを付けて、少しだけお化粧をした可愛らしい女の子を愛しそうに見つめる男の子を見つめている。私は、その視線の中にはいない。

学校の先生も、
「少しぐらい息抜きも必要だぞ」
と言ってくる。羨ましいといえば嘘になってしまう。なので、聞こえない、見ていないふりをする。そうすれば、一番自分を傷つけなくて済むのだ。

安っぽい青春ドラマなんていらない。私が間違いにならないように…

もう、本当の青春なんかいらない。安っぽい青春ドラマなんていらない。あってしまっては私は、間違いになってしまうじゃないか。
いつも通り、セーラー服姿で、髪飾りもつけない、すっぴんの私は、間違いそのものだ。

私のお祭り騒ぎは、もう終わり。大人になるための道のりをただ走り続ける。ただそれだけ、浴衣なんてあってしまえば、走りづらくて仕方がない。
髪飾りや化粧なんて走っているうちに取れてしまう。男の子なんて合わせて走っていられない。花火だって近寄りすぎると火薬の匂いが臭くてたまらない。セーラー服姿が私の一番の戦闘服だ。

今年の夏は、勉強をしている夜に、小さくどこかのお祭の花火の音がする。そんなものでいいんだ。