エッセイを世に生み出したあとに思うこと。それは、エッセイを書いている私の人生はハッピーエンドで終わるということ。

正直、人生はつらいことばかりだ。生きにくい社会で私は息をするだけで精一杯、そんな日もある。なんのために生きているのか自問自答する日もある。そんな難しい世界で生きている。

けれど、エッセイを生み出したあとは必ず、私の人生はハッピーエンドで終わると強く思う。

私はマイノリティとしての経験や日常の出来事などを「エッセイ」にする

私がエッセイを書き始めたきっかけは、孤独さを感じていたからだ。小学生のころから学校を休みがちで、中学校からは不登校。高校は通信制高校に進学し、卒業後は通信制の大学に進学した。

私の人とのかかわりは、家族、先生、片手で数えられるだけの友人。それだけだった。私はいつもなんとなく孤独感や疎外感を感じていた。

そして、多くの人の当たり前が私にとっての当たり前ではないことが多かった。そんな経験を同じ境遇の人達だけではなく、たくさんの人に知ってもらいたいと思った。

私のエッセイを書く意味はたった1つ。伝えたいことがあるから伝えるために書く。それだけだ。伝える相手は世界中の人々と、私自身。マイノリティとしての経験や、日々生きている中での経験、ちょっとした出来事、伝えたいことが毎日私の心をいっぱいにする。

誰かに聞いてほしい、経験をシェアしたい、みんなのリアクションが気になる、いろいろな種類の伝えたい気持ちがあふれている。その感情を言葉に変換し、文章を組み立て、見える形にして掲載させてもらう。

そうして、たくさんの人に私の経験や気持ちを知ってもらえるのがうれしい。これが私のエッセイを書く意味だ。

自分のエッセイが苦しいこともあるけど、良いこともあると教えてくれる

そして、私自身に伝えるというのは、エッセイを書いたハッピーな気持をあとから振り返ることができるようにするということだ。落ち込んでいる時、つらい過去や、失敗したことばかり思い出し、私の人生何も良いことなんてなかったな、こんな苦しい思いをしてまで生きている意味って何だろう、そんなことばかりが頭の中を駆けめぐる。時には死んでしまいたいとまで思うこともある。

こんな時こそ、自分のエッセイを読み返す。過去に書いた自分のエッセイたちが、苦しい経験も多いと思うけど、こんな良いこともあったよと伝えてくれる。それが私を支えてくれる。心強い味方だ。

私のモットーは、エッセイの最後はハッピーエンドで終わらせること。だから私の人生につらいことがあっても、ハッピーエンドになるように私は動く。

私の人生の経験は、すべてエッセイの糧となる。つらいことや悲しいことがあって、その時は落ち込む。でも、過去の自分のエッセイを読み返しているうちに「今のこの経験もエッセイにしよう」と反射的に思っている。

そう思うと、おちおちと凹んでいられない。悲しいままのストーリーじゃいやだ、素敵でハッピーな結末にするには私は何をすべき? と考える。バッドエンドになんてさせない! そんな強い意志で自分の人生を豊かで幸せな方へと導く。

エッセイを書き、生きにくさとの付き合い方や乗り越え方を学んでいる

エッセイを書くことを通じて、私自身が感じている生きにくさとの付き合い方や、乗り越え方を学んでいる。それと同時に成長させてくれる。

もし私がエッセイと出会っていなかったら、悲観的で暗い人生を歩んでいたと思う。前向きで明るい大好きな私でいるためにも、エッセイを書き、時には様々なエッセイを読み自分との向き合い方を学ぶ、今の生活大切にしていきたい。

生まれ変わっても、エッセイと共に生きていきたい。たくさんの人にそう思ってもらえるエッセイをこれからも生み出していきたい。

私は今日も今日とて文を綴る。誰かに伝えるための文を綴る。たくさんの人に届くと祈って丁寧に。誰かの幸せにつながると信じて真心こめて。