私のふるさと秋田。
太平山を望む、美しき町。
建物が低く、学校の校舎から一面が見渡せる。

春薫る草生津川。やわらかな春の日差しの中、はらはらと舞い落ちる桜。
ジリジリと蝉の声が降る校舎。照りつける日差し。
夕陽とコスモスの調べに酔いしれる秋。黄金に輝く稲穂。
凍えるような寒い夜に天使たちが舞い降りる。
学校帰り、手袋にしきりに降り立つ雪の結晶を眺めては、「見て!見て!」と無邪気に母に見せたものだ。

しがらみを捨てたくて東京へ出たのに、1つも忘れることなどできない

実家と聞いて思い出すのはいいことばかりじゃない。
古びた部屋、狭いキッチン、威圧的な父。
何も掛けないで寝る母を夜中に揺り起こす日々。

今思えば笑って許せるようなことも、あの時は精一杯で逃げたかった。
なぜ自分ばかり辛いのだろう。
早く一人になりたいと思っていた。
東京に出ることで全てから逃れられると思った。同時に、置いてきてしまった妹を思うと、居ても立っても居られない気持ちがあった。
罪悪感と解放。やっと自由になれる。しがらみを手放した私の足取りは軽かった。

すべて捨てたと思っていた。
何もかも放り投げて、すべてなくして1人で生きていくつもりだった。
東京で生きるということは孤独との闘いだった。
己と見つめ向き合う時間が次第に増えていくにつれ、今まで生きてきた環境がいかに恵まれていたかを思い知った。
あの頃。あの場所。あの景色。
結局、1つも忘れることなどできなかった。
気がつくと思い出している自分がいた。
あんなに大嫌いだった父のことでさえ、なんだか可愛いものに見えてきた。
父は不器用で、気持ちの伝え方を間違えていたのだと理解した。
だらしないと思っていた母は、頑張りすぎて力尽きて寝てしまっていただけだった。
2人とも「助けて」が言えず不器用なだけで、私は何も悩む必要などなかったのだ。
これが大人になることなのかとしみじみ思う。

果たせない約束、伝えきれない「おめでとう」が増え、恋しさが増す

中学時代から共に過ごしてきた親友たち。もう10年になる。
高校、専門学校と友人はいたはずだが、どうもそりが合わなかった。
気がつけば、彼女たちはずっとそばにいてくれた。
今、ライフステージが変わろうとしているというのに、直接会ってお祝いしてあげることができない。
結婚する者、出産する者、画面ごしに祝う日々。伝えきれない「おめでとう」がこぼれていく。

この1年、果たせなかった約束がいくつもある。
祖母の米寿のお祝い。親友と2人きりの旅行、行くはずだったライブ。母と約束した展覧会……。
そんな当たり前が今はできない。数えきれない思いが胸を締め付ける。
誰のせいでもない。分かってはいる。私はコロナを恨んだ。
上京してもホームシックにはならなかったのに、こんなに実家が恋しいとは思わなかった。
会いたい人に会えないことがこんなに寂しくて辛いことなのかと、実感した。

「もう限界」と思ったけど、それ以上に家族や友人を守りたいから

「1年くらいで終息するかな?」
ボソッと母が話していたことを思い出す。
こんな世の中になるなんて誰も予想していなかったはずだ。
1年どころか、いつ終わるかも分からない状態に陥っていて先の予測などできない。
機械的な声に慣れたせいか、家族や友人の生の声を忘れつつある。こんなに悲しいことがあるのだろうか。
正直、帰るのが面倒だと思うことがしばしばあったので、少しくらい帰省できなくても大丈夫だろうと高を括っていた。
帰れない状況が続き、精神的に不安定になった。
お風呂で泣いた夜。「もう限界だから帰ろう」と思った。
だけど、それ以上に家族や友人を守りたいと思った。
私が帰ることで彼女たちを命の危険にさらすくらいなら、会わない方がいい。
祖母は「生きていさえすれば、会えるよ」と力強く言い放った。
笑顔で会えた時には、抱きしめようと思う。