「地元」がどこかと聞かれたら、自分の実家がある街を答える。小学校2年生から、この街で暮らし始めた。なので、付き合いは20年以上になる。華やかさはないけれど、生活するには便利だし、愛着のある街だ。けれど、「ふるさと」という言葉はどうもしっくりこない。
自分の中で「ふるさと」という言葉がぴったり当てはまるのは、お母さんの実家、つまりおばあちゃんの家だ。
私にとっての「ふるさと」は、おばあちゃんの田舎の家
おばあちゃんの家は鹿児島の霧島にある。端的に言ってしまえば、かなり田舎だ。おばあちゃんの家から最寄りのスーパーまでは、車で10分以上かかる。もちろん24時間営業しているコンビニなんて近くにはない。そして、おばあちゃんの家の目の前には、絵に描いたような田園風景が広がっている。
稲が植わった水田を横目に見ながら、畦道を5分以上歩いて最寄りのご近所さん宅へ向かう。幼い頃から慣れ親しんだ光景だ。思い出の欠片が散らばっている場所でもある。自然に囲まれた光景を眺めていると、ずっと同じ表情を保っているように感じる。ただ、それはわたしの勝手な願望で、変わらないものはないのかもしれない。
慣れ親しんだ「ふるさと」の光景は少しずつ確実に変わっていく
わたしが小学生の頃、おばあちゃん家に面した道路の側溝は蓋がされていなかった。もちろん大人たちは、用心するように口酸っぱく言っていた。確かにゴーゴーと大きな音を立てて水が流れていて、見た目だけで危ない場所だと十分に認識できた。
危ないのは重々承知だけど、好奇心は抑えられなかった。おそるおそる側溝に近づくと、青々とした草を適当にちぎって側溝の中に投げた。草はみるみるうちに水に飲み込まれ、遠くへ流されていった。
そんな遊びを楽しんでいた小学生時代は一体いつのことだろう。気付けば、遠い昔になってしまった。今や側溝は綺麗に整備され、スリリングな遊びはできなくなった。慣れ親しんだ光景は少しずつ、でも確実に変わっていく。
悲しい変化も経験した。別れにはいまだに慣れていない
寂しい変化もいくつかあった。わたしが小学4年生の時に、おじいちゃんが亡くなった。そして、2匹の犬も、この世を去った。2匹の犬はおじいちゃんに先立たれたおばあちゃんの心の拠り所だった。特に2代目のビーグル君は、15年以上の長い時間をおばあちゃんと過ごした。
わたしのビーグル君との関わりは、一緒に散歩に行く程度で熱心にお世話をしたわけではない。散歩もビーグル君に引っ張られていることの方が多かった。ビーグル君は、いつだって元気で活発だった。
ただ、ここ数年はおばあちゃんの家を訪れるたびに、ビーグル君が老いているのを痛感していた。2年前におばあちゃんの家を訪れた時には「次にビーグル君に会えるのはいつだろう」と思った。そして、最後に会った日から4ヶ月後にビーグル君は亡くなった。
つい最近、おばあちゃんの家に向かう途中で玄関前で待つビーグル君の姿が浮かんできた。数秒経って、現実が追いかけてきた。ビーグル君が待っているはずがない。別れだって変化の一部なのに、どうして慣れないのだろう。
「変わらないもの」と「変わりゆくもの」が混ざった光景を大切にしたい
変わりゆくものがある中で、変わらないものもある。新年を迎えると、おばあちゃん家から歩いて霧島神宮に行き、参拝するのが恒例行事になっている。
真冬の霧島はとても寒くて、寒がりのわたしには徒歩25分は修行のように思える。けれど、みんなで話しながら歩くのは楽しい。この恒例行事がいつまで続くのかは分からない。無理して続ける必要はないけれど、恒例行事があることで、思い出の欠片を定点観測できる気がする。
その気になれば、ありふれた日常でも定点観測はできるのだろう。おばあちゃんの作る熱々の卵焼きとか、庭で静かに佇む椿とか……。変わらないものと変わりゆくものが混ざり合った光景を、これからも大切にしたい。