大分から東京まで、1時間ちょっとの短いフライト。幼い頃の家族旅行では、なにがなんでも窓側の席に座って、分厚い雲の間から覗く富士山を見るのが大好きだった。
大学進学を機に上京。帰省のために1人で飛行機に乗ることが増えた
機内からは、普段なかなか見ることのできない、富士山のてっぺんがよく見える。頂上からのとっておきの景色は登頂した人だけに与えられる特権である。そんな特別なものを、なんの苦労もせずに横取りするかのような、罪悪感にも似たドキドキを味わう瞬間が、いたずら好きな私にとって最高の楽しみだったのだ。
大学進学を機に上京した私は、「ふるさと」大分への帰省のために1人で飛行機に乗ることが増えた。
相変わらず登山の経験は1度もないが、東京に暮らしていると、ふとしたときに富士山を目にすることが多い。これまで家族旅行のときにしか、それも空の上からしか見えなかったものが突如日常に現れ、目新しさが薄れてしまった。
「見て!富士山!」と呼びかける相手ももちろんいない1人旅だ。次第に窓側の席へのこだわりもなくなった。「着いたら早く降りたいし」と冷めた様子で通路側の席を予約するようになった自分には少しの寂しさを覚えるが、これもきっと成長なのだろう。
手荷物を率いる巨大な寿司。流れてくる寿司が愛おしくてたまらない
飛行機を降り、モワッとする空気をまといながら足早に手荷物の受け取りへ向かう。もう1つの楽しみを誰よりも早く味わうためだ。
ウニやマグロ、エビといった巨大な寿司のオブジェが乗客の手荷物を率いて、ターンテーブルに流れてくる。私が「『ふるさと』に帰ってきた」と感じる瞬間だ。どんなに旅慣れた様子のスーツケースよりも早く、当然かのような顔をして流れてくる寿司たちが愛おしくてたまらない。
空港の到着ロビーからはかけ離れた、回転寿司を彷彿とさせる光景は2008年、大分で開催された国民体育大会をきっかけに見られるようになったという。目的は大分の海の幸をPRすること。ずいぶんと見慣れているはずなのに、いつ見てもクスッと笑ってしまう、私のお気に入りだ。
しかし、流れてくる寿司たちを見て、「大分って海の幸が豊富なんだな」と関心を寄せる観光客は一体どれほどいるのだろうか。東京で出会った友人は皆、「大分って……」と少し考え、「あっ!温泉が有名だよね!」とどうにか思い出したことにホッとする様子だ。
「もっと良い方法はないものか……」
1人微笑み、スマホ片手に撮影しながらそんなことを考えてしまう。
ふるさと大分をあたたかい場所へ。思いも寄らない郷土愛にワクワクした
「生まれ育ったふるさと、大分に恩返しがしたい」
そんな立派なことは言えない。だが、右も左も分からないまま1人上京し、PRを専攻するしがない大学生にも野心はある。
それは大分を訪れる人々に、どこか懐かしい、優しい気持ちを感じてもらうことだ。大分に縁もゆかりもない人々が大分空港に降り立った瞬間、思わず「ただいま」と言ってしまうような、そんなあたたかい場所にしたい。
帰省が難しい日々が続く。寂しくなるので普段はあまり考えないようにしていたが、いざ考え始めると、思いも寄らない自分の郷土愛にワクワクした。
決めかねていたゼミの研究テーマだが、地域ブランディングはどうだろうか。ここ数日頭を悩ませていたテーマ決め問題も解決しそうだ。たまには「ふるさと」に想いを馳せる時間も良い。
状況が好転したら、今度は久しぶりに窓側の席を取って富士山を見ながら「ふるさと」へ帰ろう。