「またね」
この言葉いつ聞いたっけ?
遊ぶ約束が取りづらくなったよね。またねと言った割に1ヶ月は会えていない。そのまたねはどこに向かって投げたのだろうか。
このご時世だし仕方がないと言えばそうなんだけど、仕方がないで済まされてしまう私たちの青春はそこまでなのだろうか。
この「またね」って言葉は罪深くて、また会えることを確定してくれているようで、こそばゆくなる私がいる。主流であろう「ばいばい」を使わないのは愛だと思ってしまう。

「会いたいね」。会えないんだから言わないで

はじめましては2021年1月初旬。お洒落なバーに連れて行ってくれた。
普段は飲まないカタカナばかりのカクテルに小さなチーズ、割に合わない値段に驚き、2人で一皿を頬張った。気持ちよく酔った私たちは2軒目と言って大衆居酒屋で飲み直し、終電には帰った。
「今日はありがとうね。またね」
手をひらひらさせ弧を描く目をした彼が駅まで見送ってくれた。お酒の仕業なのか頬が熱くなり、風の冷たさが人肌をより恋しくさせた。

またねを実現させる前に、この町には緊急事態宣言が下された。

私の日常は至って変わらなくて、朝起きて電車に揺られて出勤をする。普通に満員電車だ。
2020年から続くマスク生活は慣れたもので、2回目の発令もぱっと見、人々に変わりがあるようには見られなかった。
すっかりマスク下のノーメイクは日常となり、アイメイクだけで盛れる研究を重ねた結果、マスク詐欺と称される作品が完成した。
これも社会に適応した結果と努力だ。マスク外した時にがっかりしないでいただきたい。

「会いたいね」とLINEが来る。会いたくなってしまうから言わないで欲しい。
彼は他県に住むので越県行動は会社から厳しく罰せられるし、家族と住んでいるので迷惑はかけられないときちんと自粛していた。
私は2人きりで会うぐらいならいいじゃないか、とさえ思っていた。宅飲みなら誰にも迷惑かけないでしょう。
「いいじゃん、大丈夫だよ。1日ぐらいうちで飲もうよ」と打っては消す。3回ほど文を変えては消した。彼から嬉しい言葉をもらったはずなのに、会えないんだからそんなことは言わないで欲しいと悔しい気持ちに泣いてしまうこともあった。

誰も悪くない。誰も。このパンデミックを治めようと身を削って戦場に出向いている人たちがいるなか、自分ひとりの軽薄な考えを恥じた。

2ヶ月ぶりのデート。でも告白する勇気は…

緊急事態宣言が明けるまでの1ヶ月は毎日LINEをして、お互いの距離があいてしまわないよう努めていた。会えない好きより会える好きを選ばれてしまうのが怖かった。だから苦手なLINEも頑張れた。

膨らませていた爆発寸前な気持ちを抱えて、宣言明けに約2ヶ月ぶり、3月初旬に彼と一日デートをした。
会いたい時に会えるのが本来の日常なはずで、こうやって好きな人に触れられることが非日常になってしまったことを悲しく思う。
お互いの気持ちを確かめながら少しずつ距離を詰めていては何ヶ月かかってしまうのだろう。少し焦った。

デートしたのは10時間。1度目のデートから2度目のデートまでは1488時間。
帰り道、焦る気持ちとは裏腹に告白する勇気は持ち合わせていなかった。

「今日もありがとうね。楽しかったよ。またね」
また君の目が弧を描く。

会いたい時に会えること。それが幸せなんだよ

その言葉を最後に彼の声を聞くこと、姿を見ることはなくなった。

3度目の緊急事態宣言と同時にきた宣告。
「こんなにも会えない日々が続くなら付き合うなんて考えられない。お互い近場で恋人を見つけよう。会いたい時に会えること。それが幸せなんだ」

私の力量不足だったのかもしれない。
本当はデートがつまらなく思われていたのかもしれない。
もとより顔が好みじゃなかったのかもしれない。
理由は会えないからだけじゃないかもしれない。
たくさん考えたが、解決策など見つからなかった。

どうしようもない気持ちを消化しきれずに、延長された緊急事態宣言を噛み締めながら私たちの青春は消化されていく。