私の両親は、私が幼い頃から度々喧嘩をしていた。喧嘩というより、父が一方的に怒鳴っていることの方が多かった。時折暴力もあった。心理的な、身体的なDVだった。

止まない父の怒声。妹と2人で布団に潜り込んでおさまるの待っていた

あまり鮮明には覚えていないが、幼い頃は怒鳴り声が聞こえると、布団によく潜りこんでいた。朝の目覚まし時計のように、その声で起きることも少なくなかった。
事が起こっている場所は、ほとんどいつも2階のダイニングルーム。

私は妹と2人、3階の寝室で布団に入り、声がおさまるのを待っていた。黙り込んだまま、時折泣きながら。
そんな中、2階に繋がる階段から様子を伺ったり、時々止めに入るのが長女の姉だった。母が姉に頼んで、警察を呼ぶことも数回あった。

実家から徒歩3分程度の場所にマクドナルド(以下「マクド」という)がある。
幼い頃は、外食でお金を使う習慣がなかったためか、そこへ逃げる知恵を持ち合わせていなかった。中学・高校と進むにつれ、友人とも行く回数が増えたとき、その場所は実家からの避難所にもなっていた。

父の怒鳴る声量は、家の前にいても聞こえてくる程大きかった。学校から帰宅し、自転車を止めて家に入る途中に聞こえてくる父の声。そんな時は顔が入る程の隙間だけ、扉を静かに開けて様子を伺った。怒声が止む気配がないとき、私はマクドへ向かっていた。
家に着く前に姉妹から連絡が入り、そのまま直行することもあった。

「家に帰りたくない。あの場所から逃れたい」。マクドは救世主だった

マクドでは少ない小銭だけで飲食ができる。子どもだけでも入りやすい。
辺りが暗い中、煌々と光る看板と店内から洩れる灯り。その時の自分の心は、寂しかったのか怒っていたのか何とも言えない。ただただ、「家に帰りたくない。あの場所から逃れたい」の一心だったと思う。

マクドの光は、そんな私の心に安心を与えてくれた。
しばらくして「もう喧嘩おさまったかな?」と言いながら、戻っていた記憶がある。家にいる姉妹から「もう大丈夫そう」という連絡が入ってから帰ることもあった。

怒声が飛び交う実家の避難所として、何度もお世話になったマクド。実家の近くにあって本当に良かった。
どれ程、聞きたくない声を聞かずに済んだだろう。見たくない場面を見ずに済んだだろう。
姉や妹と共に行った記憶は多くはないが、私一人では何度もある。
少なくとも私にとって、マクドは救世主だった。自分一人だけでは到底解決できないことから逃れられる居場所だった。

おこがましいだろうけれど、今となっては感謝状を送りたいくらい。それくらい、有り難い存在だった。

決して、嫌な記憶だけが詰まったふるさとではない。ただ、私のふるさととマクドはセットだと思う。ハッピーに繋がるセット。
間違いなく、今の私に繋がっている一部分であるから。

「ここにいていいんだよ」。安心できる家以外の場所は子どもを守れる

今になって思うこと。
実家以外の居場所は、誰しもが必要なのではないだろうか。無条件に、「ここにいていいんだよ」と思わせてくれる場所、人。心の拠り所が他にあることは、子どもを暗闇から守ることに繋がる。

ふるさとに思いを馳せながら、願う。
どんな子どもにも、安心できる場所があることを。どんな大人にも、存在を認めてくれる誰かがいることを。