「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」。

これは、私がその土地に着いた時に思い出した文章である。また、川端康成の小説『雪国』の冒頭部分でもあり、奇しくもこれから住む土地がその小説の舞台であった。

生まれて初めての一人暮らしの地は、日本を代表する雪国だった

新幹線の窓から見える景色が、まさに文章の通りだった。一つ前の駅では、雪すら降っていなかったのに、トンネルを抜けたら一面雪景色だった。

生まれて初めて見る、見渡す限りの白だった。その時期にしては珍しく、かなり激しく雪の降る日であった。私にとってそこはふるさとなんかじゃなかった。この日までは。

新潟県越後湯沢。私はその地に、去年の冬住むことになった。生まれてこの方実家暮らしであった私の、人生で初めての一人暮らしであった。そうはいっても、正確には会社の寮だったが。

越後湯沢駅を出て外を歩くとすぐに、雪国の洗礼を受けた。雪に埋もれるヒールの靴。私の身長より遥かに高く積もった雪。地元ではありえない光景だった。一年に一度か二度しか雪が降らない場所から、日本を代表する雪国といっても過言ではない地に来てしまった。

地元では家からすぐの距離にいろいろあって便利だったが、ここは違う

車道にはいつも除雪車が走っていた。雪をどけないと車すら走れない。それほどの雪。

時には、雪のこわさを感じることもあった。夜、駅に行こうと外を歩いていた時。雪が横殴りに降っていて、視界のほとんどが雪で見えなくなり、強く吹く風だか雪だかに体を持っていかれそうになった。このままずっと外にいたら死ぬな、と本能的に思った。そんな雪は映像の中だけだと思っていたが、違ったらしい。

でも、それだけでは終わらなかった。最寄りのコンビニは寮からバスで40分。本数も1時間に数えられるくらい。徒歩で行こうとしたら、何時間かかるか分からない。

コンビニすらその距離にあるため、チェーン系の飲食店などもはや隣の町まで行かなければない。普段なら探さずとも見つけることが出来るのに、と思い無性に食べたくなった。コンビニのスイーツですら恋しくなる始末だった。

こういった環境には縁のない場所で生まれ育った私は、この近辺に暮らす人達は普段どうやって生活しているのか不思議だった。よく、田舎は車がないと生活出来ないというが、その意味が分かった。免許のない私でも、確かにこれは車が必要だと思った。

地元では家から歩ける距離に駅があり、電車に乗れば大抵の場所には行けるので、免許の必要性を感じず取らなかったのだ。少し歩けば、スーパーも飲食店もある。百均も本屋もある。コンビニに至っては5分間隔くらいの距離に店舗がある。大げさにいうと、生活圏内になんでもあるのだ。同じ日本なのに、こんなにも違うのだと思った。

ただの雪国だと思っていた新潟が、今では前よりも身近になった

生活にも慣れてきた二か月くらい後に一人暮らしは終わり、実家へと帰ることになった。あっという間であった。

実家に戻ってきて、新潟で暮らす前とは明らかに変わったことがある。テレビでやっている全国の天気予報とか、ご当地の食べ物の特集だとか、新潟が出ていると、あ、と思うのだ。ただの雪国だと思っていたのが、前よりも身近になった。

また、以前、新潟がテレビに出ていた時、私は「あ、第二のふるさとだ」と言った。それを聞いた親は「何言ってんの」と笑った。こういうことが積み重なって、私は自分が新潟をふるさとだと思っていることに気づいた。

新潟での生活を経験したことで、逆説的ではあるが、普段とは違う環境へ行くことによって、いかに普段自分が過ごしている環境が恵まれているのかを理解することが出来た。比較する対象がなければ、恵まれていると知ることは出来ない。それが当たり前だと思っているからだ。

だから、私のように辞書通りの意味ではないふるさとがあっても、それが自分にとってそうであるならば、それで良いのだと私は思う。今後、新潟に続くふるさとが私の前に現れるとしたら、楽しみだ。

ふるさとは、いくつあってもいい。自分にとって何か意味があったり、何かを思い起こせたりする場所であるのなら。