居心地の悪いふるさとの唯一好きだった場所は、近所の路地裏

一番近くのコンビニまで徒歩で十五分かかるから、もはやコンビニエンスではないし、ほしいものは近くでは買えないし、観たい舞台や行きたい展覧会は基本諦めなければいけないし、人間関係が濃すぎるあまり周囲の人間の輪からはみ出ないように生きなければならないといけないと感じるし。

上記は客観的に見ればありきたりで、そんなことかと言われかねない理由であるという自覚はある。しかし、確かに私は、生まれ育ったふるさとに居心地の悪さを感じていた。

実際、地元の中学校ではなく、隣の市の私立中学校に進学したことで近所の同級生とは疎遠になってしまい、なんとなく周りから遠巻きに見られている感覚を覚えることが少なくなかったことも、理由の一つかもしれない。
地元にいてもいいことなんかないと本気で考えていた私が唯一好きだったのが、近所の路地の風景だった。

憧れの地での暮らしに躍る胸。実際上京して感じたのは、孤独だった

大通り(車一台がどうにか通れるレベル)から眺めると、細い道なりに沿って家々が連なる様子を見ることができた。ツタが壁に絡まっている古めかしい木造の家もあれば、最近建て替えた物珍しいデザインの家もある。その家に住んでいる人々のことは別として、それぞれの家があり、そこに暮らす人の確かな存在が感じられる路地の風景が好きだった。

ふるさとを離れれば、もっと居心地よく暮らせるはずだと根拠なく思っていた。
東京の大学に進学することが決まってからは、東京でやりたいことリストを制作するほどの浮かれ模様と、Uターン就職なんかまっぴらだぜという思いで、地方出身の私にとって憧れの地での暮らしに胸を躍らせていた。

しかし、地元を離れ、上京してきたときに感じたのは期待でも喜びでもなく、孤独だった。引っ越し作業をすべて終えた母が、改札の奥に消えていく姿を見ることができなかった。自分しかいないアパートの一室で、駅の近くの薬局で買った水色のマニキュアを泣きながら爪に塗りたくった。

きっかけさえあれば延々と押し寄せる寂しさの波は、上京してから一か月ほど絶えなかったが、大学の授業が本格化するにつれ、逐一自分の寂しさを自覚する暇がなくなってきた。今まで地方に住んでいるからという理由であきらめなければならなかった東京開催の舞台の公演、漫画家の展覧会にだって行くことができると気づいてからは、地元になんか帰るものか精神は再び燃え上がる。

このまま路地に入ればふるさとに帰れる。本気で思った場所との出会い

しかし、上京して三か月ほどたったある日のことだ。買い物に出かけた帰り道、何気なく目にした路地が、実家の近くの路地に似ていた、ように感じた。
実際全国津々浦々どこの路地も同じような見た目なのかもしれない。今冷静に考えてみても本当に似ていたのだろうかと疑わざるを得ない感想だ。

だが、その路地を見た瞬間は、このまま路地に入って歩いていけば私はふるさとに帰れるのではないか、と本気で思ったのだ。
こんなにもいろいろなものが溢れている東京に住んでいてもなお、あの何もない場所に、こんな場所で生きていたっていいことなんかないと本気で考えていた場所に、自分は帰りたがっていると気づいてしまった。

結局、夏休みが始まってすぐ、私はふるさとに帰ってきた。
今まで住んでいた土地を離れたことにより、自分がふるさとを好きになれたかどうかわからない。しかし、今確実に感じていることがある。

私にとって「ふるさと」は簡単に切り捨てられるものではないらしい

私はまた東京に戻るのが怖いのだ。いちどふるさとに帰ってきたことで、また東京に戻れば、上京したての日々が、孤独が蘇るように感じる。自分のことを誰も知らない街で、自分の嗚咽しか聞こえない部屋に戻るのが本当に怖い。

結局のところ私は、ふるさとではないどこかに行きたかっただけなのかもしれない。しかしそう簡単に自分を取り巻く環境も、自分自身も変わることができないのだろう。
地元愛という言葉はあまり好きではない。ただ、少なくとも私にとってふるさとは、そう簡単に切り捨てられるものではないらしい。

栄える都市に出ていきたい。慣れ親しんだ土地に帰りたい。この相反する気持ちを抱えて、夏の終わりに、私はまた一人ぼっちのアパートに戻る。