街中まで歩いて二十分、県で一番の街中まではそこから電車で十五分。贅沢を言わなければ何でも揃う、なんともつまらない町で育った。田舎ではないが、都会でもない。学校まではコンクリートの道を歩き、真っ白でお城みたいなアパートに住んでいた。

両親共に、この町の出身ではない。何なら二人ともこの県出身ですらない。二人して、この町の良いところを語ったことはなかった。
私はこの町が好きでも嫌いでもなかった。
「好きの反対は無関心」。全くもってそのとおりである。

こんな町より、祖父母の住む田舎町のほうがよっぽど好きだった。何もない所だけど、祖父母がいるだけでそこは最高の場所だった。

「今日はみんなで春を感じに行こう」。叫びたいほどワクワクした

小学三年生の春。私の学校は転入転出が多く、色々あって五月に二度目のクラス替えがあった。滅茶苦茶である。

担任はおばちゃん先生だった。初めて見る顔だなと思った。実際には何年もこの学校に在籍していたのだが。
タキ先生といい、タキ先生は児童から非常に好かれていた。私もタキ先生のことが好きで、毎日のように「せんせ、せんせ」と話し掛けていた。

「今日はみんなで春を感じに行こう」
とある日のこと。確かクラス替えがあってそう経っていない頃の、国語の時間だったと思う。タキ先生は突然そう言い出した。

春を感じるって何?
首を傾げたのは私だけではなかったはずだ。
「さぁ準備して!静かに、学校を出るよ」

学校を出る!なんて胸が躍る言葉なんだろう。私たちはさながら忍者のごとく、そうっと教室から出た。気分は潜入者そのもの。何が起こるか分からないが、確実に楽しい「何か」が起こるに違いない!叫びたいほどワクワクした。

名前を知ると雑草から「植物」になる。出逢った全てが私を形作るのだ

連れて行ってくれたのは、学校から歩いて五分足らずの場所にある、野原だった。私の家からも十分かからないその場所は、近くであるにも関わらず、来たのは初めてだった。風に合わせてサワサワと草花が揺れ、緑の匂いがした。

タキ先生は、そこに生えている小ねぎのような雑草を抜いた。
「これは『ノビル』といいます。ほら根っこのところ。見てみて? 何かついているでしょう?」
先生の手元を見ると(私は先生のことが大好きだったので、常に一番近くにいた)、先生の言うとおり、小さな玉ねぎのようなものがついていた。

「ここの部分は食べられます」
えぇー!と三十五人が騒いだ。私も「そこに生えてるのに食べられるのー!」と声を上げた。

「学校に戻ったら皆で食べます。さ、皆で探してみよう」
せんせ、これ?これ?と私はタキ先生の隣にピッタリくっついてノビルと思わしき草を抜いた。多分一人で十以上採ったであろう。昔から食欲旺盛だったので、食べてみたい気持ちも強かった。同じくらい、先生に褒められたいという気持ちもあったが。

「ここにある植物は全部名前があってね」
せんせ、見て!ほら!とノビルの球根を見せびらかす私に、タキ先生は話し出した。

「この名前を知ると、雑草から『植物』になるのよ。すう(私はタキ先生に『すう』と呼ばれていた)にとって、ノビルはもう雑草じゃないでしょう?」
先生の言うことは難しかったが、それでもなんとなく分かった。今ではよく分かる。
知らないものを知らないまま、他所のものだと思えばそれで終わりだが、知らないものを知ろうとすれば、それはもう他所のものにはならない。自分が出逢った全てものが、私を形作るのだ。

ピリリと辛いノビル。私のふるさとは私を形作った一つしかない町だ

ノビルは学校で水洗いして、味噌を付けて食べた。少しクセがあってピリリと辛かったが、爽やかな味わいであり、自分で採ったと思えばそれだけで美味しく感じた。
タキ先生が「これは大人の味かもしれないなあ。私は好きだけど」と言ったので、「先生が好きなら私も好きなはず」と思っただけかもしれない。

今思えば何故味噌があったのかてんで謎だが、タキ先生が調理実習室から拝借したのだろう。タキ先生は、今まで出会った先生の中で一番自由人だった。

あの野原は今でもそのままである。ノビルが採れるかは知らないし、ノビルを採りにはいかないが。

「昔、そんなことありましたよね」
タキ先生に連絡をしてみれば「そんなことあったっけ?」ととぼけられた。ありましたよ、美味しかったですよ、と返せば「すうは食いしん坊だったからね」と笑われた。

私のふるさとは、爽やかで少しピリリとした味で、草の匂いがする、私を形作った一つしかない町だ。