一人暮らしの部屋の窓を開けると、夜が忍び込んでくる。夜の匂いは、ふるさとの匂いだ。
私の地元はいわゆる田舎で、22時の終電に乗って帰ると、大抵23時前には家に着いた。そしていつも「おかえり、不良娘」と、大学生にしては早い帰宅にも関わらず母に小言を言われる。
毎晩、母がベランダで洗濯物を干している。私はいつも隣で話していた
私は程よく酔っていて、その熱を冷ますように母がいるベランダに向かう。母はこの時間洗濯物を干している。私は干すのが楽なバスタオルを手に取って、大学の授業の話や、部活や、友人や、時々恋人のことや、将来のことをぽつりぽつりと話す。タオル1枚の皺をこれでもかと伸ばしながらする私の話を、母は飽きずに聞いてくれた。
上京する意思を伝えたのも、あのベランダだった。私は地元の慣習や、保守的な空気への抵抗感を伝え、新しい場所に行きたいのだという若者らしい希望を語った。母は私の気持ちに寄り添いながらも、私の身を案じて反対した。最後に、「お父さんが賛成したらね」と言うだけだった。
次の日父に話をしたが、父は怒鳴るように私の話を遮った後、もうそれ以上聞きたくない、とばかりに私に背を向けた。その背中はいつもより小さく見えた。
私は反対されればされるほど、自分の、挑戦したいという欲求を抑えることができなくなっていた。両親に内緒で、関東の教員採用試験を受験した。
試験会場へ向かうために首都高をバスで通った時、立ち並ぶビル群に興奮を抑えられなかった。私はもう、新天地への期待に胸が膨らんだ。
両親に愛されていることは分かっていたが、私は苦しさを覚えていた
試験は無事終わり、そして縁あって内定通知をもらった。合格を友人たちに祝ってもらった夜、帰宅したら母はいつものようにベランダにいた。
少し肌寒い秋の夜、私はだまってバスタオルを干していく。風で飛ばないように、タオルの端を洗濯ばさみで止めていく。口は開かなかった。沈黙を破ったのは母だった。
「お父さんもね、お父さんも、ただ、そんなに遠くに行ったら、すぐ飛んで行って、なにからも、もう守ってあげることができんって、ただ、それだけなんよ」。鼻がつんとするのが分かった。何か言おうとしたが、そうしたら涙が溢れ出そうで、きゅっと口をつぐんだ。
両親に愛されていることは分かっていた。分かっていたが、22年間ずっと守られていた事実に、私は窒息しそうな苦しさを覚えた。外の世界ばかりに目を向けていた私は、自分の今までの居場所について考えないようにしていたことに気がついた。
地元を離れる日は、朝なのに豪勢な食事が出た。私が作ってくれとよくせがんでいたコロッケと、じゃがいものそぼろ煮、毎日食べていた卵焼きに焼き鮭、炊き立てのご飯。
一口ごとに「美味しい」と言う私に、母は、「まだ飛行機まで時間あるよね。お味噌汁も食べてほしいけん、まだ待って」とキッチンを離れなかった。
家族を知るために家族から離れ、自分を知るために他者と出会うのかも
思えば、私が食べている時、母はまだキッチンに立っていることが多かった。父も、母も、なぜこんなにも父と母なのだろうと思った。親である前に一人の人間だというが、それでも子供の前ではずっと父と母であろうとする両親を、私は偉大だと感じた。
それと同時に、もう十分に与えられたと唐突に思った。これからは与える人間になろうと、その時決意した。
新天地では、ふるさとの話をすることが増えた。ふるさとを知るために、外へ出たのだとすら思うようになった。どこへいても、ふるさとと似ているところと、違うところを自然と見つけようとした。
もしかしたら人は、家族を知るために家族から離れ、自分を知るために他者と出会い、ふるさとを見つけるために旅に出るのかもしれないと、そう思うようになった。今日も、あのベランダで感じた夜の匂いに包まれて寝る。夢の中で、私はふるさとに帰るのだ。