遠い出来事のように感じる海外旅行。2019年7月の出来事だ

カラフルなランタンが、蒸し暑い夜の街を照らしていた。赤、黄、緑、青、紫のランタンが入り乱れるように輝いていて、ホイアンの夜は心躍る光景だった。
この光景を見るために、はるばる日本からやって来たのだと思えた。旅行前日に塗った朱色のネイルも、ノースリーブの赤いワンピースも、心なしかいきいきとしている気がした。ホイアンの鮮やかな色たちに負けないように、全身全霊で自らの色をアピールしていた。
まるで遠い昔の出来事のような気がするけれど、2019年7月の出来事だ。

滞在先のダナンから車で1時間ほど揺られ、ホイアンを訪れた。
色鮮やかな夜景をひと目見るため、数多くの観光客が詰めかけていた。iPhoneで写真を撮りながら、人の群れの中を歩いた。
三密なんて言葉はまだ存在しなかった世界。翌年の夏に海外旅行ができなくなるなんて、思いもしなかった。

ベトナムで過ごした夏。翌年も当たり前に海外を旅するものだと…

社会人になってからの旅先は、日頃の疲れを癒すために、自然の豊かな場所を選ぶことが多かった。2017年の夏にはフィリピンのセブ島、2018年の夏にはオーストラリアのケアンズを旅した。そして、2019年は冒頭で綴ったように、ベトナムのダナンで過ごした。
ごく当たり前に2020年も、2021年も夏になれば海外を旅するのだと思っていた。

コロナ禍になり、旅の思い出には複利効果があることをしみじみと感じている。どんな思い出にも複利効果があると思うけれど、私的に旅の思い出が持つ複利効果はひときわ大きい。
旅行ができない今だからこそ、旅の思い出を振り返っている。旅の計画を立てる時間も楽しいけれど、後から旅の思い出を振り返る時間もまた楽しい。

旅行の初日は意気揚々と思い出を文章で書き留める。けれど、次第に雑になっていき、しまいには書くことを放棄する。
冷静に考えると、旅は一日あたりに詰め込まれる刺激が多すぎるのだ。初めての土地、慣れない言語に、タイトなスケジュール。言葉を形づくる前に、消化不良を起こすのも無理はない。

今年の夏は読書を通して旅をした。未来に向けて楽しみの種を蒔こう

わたしの場合は、旅に限らず経験を言葉として紡ぐのに時間がかかるタイプだ。理科の実験で言うと、ろ過の時間が長めに必要なのだろう。
文章が当てにならないとなると、パシャパシャと撮りためた写真を通して、旅の思い出を振り返ることになる。写真は、底の方に沈んでいた記憶を呼び覚ます。頼りない記憶力に呆れながら、空芯菜炒めや山盛りのパクチーの写真を見返す。
確かに、わたしはベトナムに存在していた。まだ暑い夜の街を眺めながら、空芯菜やパクチーを咀嚼していた。

今年の夏は読書を通して旅をした。星道夫さんの『旅をする木』ではアラスカを、辻村深月さんの『島はぼくらと』では香川を旅した。
アラスカも香川も実際には行ったことのない場所だ。いつかアラスカや香川を訪れる時に、どんな気持ちになるのだろう。

旅を予習するような気持ちで、本を読む楽しみを見つけた。
過去に浸りたい性格なので、旅の思い出を振り返るのは楽しいし、無限に続けられる。けれど、未来に向けて楽しみの種を蒔くような行動を少しずつ増やしていきたい。
夏が終わっても、旅する読書を通して、いろんな場所に種を蒔いておこう。