人間という種は、他の生物と決定的に異なる点がある。それは、「ストーリー」を創り出し、語ることができるという点だ。ただの偶然の事象にすら「運命」を見出し、意味を与える。そうして自分の世界を、一つの大きな物語として紡いでいるのだ。恋愛というのは、その「物語」の題材としてこの上なく理想的なテーマである。

タイで出会った彼と、世界一周のバックパック旅行に出ることに決めた

私が運命の相手だと信じた人とは、タイで出会った。当時私はバンコクの片隅に住んでいて、彼は1週間ほど旅行で遊びに来ていたのだった。互いの出身地も生活圏も異なるため、母国で会うことは恐らくなかっただろう。でも、とにかくその短い間に二人の人生は交錯し、巡り会うことになったのだ。
会って間もなく長年の友人以上に意気投合した我々は、彼が旅行を終えて帰るまでに恋人同士になった。こちらはタイ、向こうは日本と国をまたいでの遠距離だったが、しょっちゅう電話やメッセージでコミュニケーションを取った。

そして、交際して2週間が経った頃、「海外」や「旅」が好き、という共通点を持っていた私たちは、一緒に世界一周のバックパック旅行に出ることに決めたのだ。スタートするのは1年後。それまではお互いに貯金したり身の回りの雑事を片付けて、準備を進めた。その間に私は帰国し、日本でも遠距離ながら会うことができた。出発前に彼は仕事を辞め、私は大学を休学し、予定通りに旅立つことができた。

最高の物語。偶然出会った人と急激に惹かれ合い、一緒に旅するなんて

私の人生は、それまで基本的に平凡な恋愛しかなかった。少女漫画の影響で「ドラマチックな恋愛」に憧れていたが、実際には職場や学校で一緒に時間を過ごすことで愛着がわき、なんとなく付き合うというというパターンがほとんどだった。だから、ほんの僅かな時間を過ごしただけで惹かれ合うというのは初めてだった。そして、その人と一緒に世界を旅をしてまわるなんて、考えただけでも最高の物語である。「将来、二人の間にできた子どもに話すのにうってつけの題材だ」。そんなことも考えたりした。

旅に出ると毎日が新鮮で、今振り返っても、私の人生の中でも宝物のような時間だった。アジアからヨーロッパまで20数カ国を連れだって訪れた。ベトナムの南北縦断鉄道に乗って、1泊2日、車窓から見える素朴な田園風景を楽しんだり、インドのアムリトサルにある黄金寺院に泊まって年越しをし、ジョージアからウクライナに渡るため3日かけて黒海を船旅したり。ずっと行きたいと思っていたイランでは行く先々で人々の惜しみない歓待を受け、中国では美食に舌鼓をうった。そして、隣には大切な人がいる。こんな幸せなことはない。

ただ、長い間一緒に過ごしていると、ストレスも溜まる。特に勝手が分からない異国の地では尚更で、ケンカも増える。彼と私の間で価値観の共有はできていたものの、性格や物事の対処の仕方はかなり違っていて、最初は新鮮だったその相違が、時が経つにつれてだんだんと相手の負担になってきた。機嫌良く笑い合っている時間よりも、諍いとその修復に費やす時間の方が増えてきた。

とても大事な人なことに変わりはないと思えて、受け入れられた

何度も歩み寄りを重ねたが、これ以上一緒にいてもお互いに疲弊するだけだと気づき、話し合いの末に別れることにした。そして私は日本に帰り、彼はそのまま1人で旅を続けることとなった。出会って2年、日本を発ってから1年あとのことだった。パーフェクトな恋物語として子どもに語るはずだったが、予想していなかったエンディングを迎えることになってしまったのだ。

それからしばらく、その経験を乗り越えることができなかった。「二人の物語は完璧だったはずなのに」、とポップソングの歌詞のような一節が頭の中で流れていた。吹っ切れるようになったのは、別れて1年ぐらい経ってからのことである。おそらく彼がいなかったら、あれほど長期で海外旅行をすることもなかっただろう。そして、あんなにたくさんの素敵な思い出をつくることもなかっただろう。彼は私の愛する人ではなくなってしまったけれど、とても大事な人であることに変わりはない。時間をかけて気持ちを整理したことで素直にそう思うようになり、別離を受け入れられることができた。

「愛」といえば、私はいつも次の一文を連想する。「愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだ」。『星の王子様』で知られるサン・テグジュペリの言葉だ。私と彼は同じ方向を見ていると信じていたのだが、実は別のものを見ていたのかもしれない。今となっては分からない。私は自分の物語に、あまりに浮かれていたからだ。

でも終わりはどうあれ、とにかく彼には感謝を伝えたい。完璧な結末ではなかったけれど、かけがえのない物語を一緒に紡いでくれて、本当にありがとうと。