私は、29歳の会社員だ。そして、2021年8月現在、会社を休職している。
「またか……」
正直、そう思わないこともない。なぜかというと、私が仕事を休職するのは2回目だからだ。

国家公務員として多忙な日々。産休という「甘い時間」が与えた報復

今の会社に転職してきたのは2020年2月。前職も休職の末に退職してしまったのだが、この会社でも、入社後わずか1年6か月で休職に踏み切っている。
なぜ私が勤め人としての歩みを止めてしまったのか、その理由をお話したい。
そして、私にとって歩みを止めることがどんな意味を持つのかも。

実は、前職では、国家公務員として日本政府の端くれを担い、某省で働いていた。
霞が関は多忙だ。常に誰かが走り回り、複合機が紙を吐き出し続け、上司が怒鳴り散らし、緊迫した空気の中で山のようなメールをさばく。
官僚の駆け出しだった私は、就職当時は意欲に燃えていたが、数か月も経つとすっかり疲弊していた。

そんな中で、私はある幸運を手にする。子どもを授かったのである。
それまで鬼のように働いていた私が、「産休」の名のもとに、突然の免罪符を手にすることができた。産休育休中は、人生初めての育児に辟易しつつも、灰色の霞が関で働かなくてよいという大きな権利を存分に味わった。

しかし、そんな甘い時間は私に報復を与えた。
娘が7か月の時に職場復帰すると、同時に今まで全く経験のない部署に異動になった。業務内容も、同僚の顔も、まるで知らなかった。一から勉強だった。
他方で、過去のように無尽蔵に時間があるわけではなかった。メールと作業ばかりが積もっていき、朝出勤すると、何十件とメールが溜まっていた。

そして、少しばかりの残業をして帰れば、娘はすでにミルクを飲んでいて、母乳の出番すらなかった。白い目でこちらを見ていた夫の顔は、今でも脳裏に焼き付いている。

自分を不適合者と思い込み退職。転職先は天国みたいだったけど…

とてもとても、耐えられなかった。職場では仕事ができないお荷物だし、家でも母親としての務めを果たせない。娘を抱きながら申し訳なさに泣いた。
ある日、満員電車で通勤中に涙が止まらなくなり、医者に行ったらストレスの溜めすぎだと言われた。数か月の休職ののち、退職した。

「私はきっと、不適合者なんだ」
そう思った。職場の同期はバリバリ活躍していたし、子育てをしながら働き続けている先輩もいた。
でも、私にはできなかった。私は「不適合な使えない奴」なんだと、失意のままに省を後にした。

さて、半年ほど経って、私はサービス業大手の今の会社に就職した。
ここは前職とは全く異なっていた。仕事内容もさることながら、職場がのんびりしていて、笑顔があり、お互いを名前で呼び合う和気あいあいとした雰囲気があった。

「こんな天国のようなところがあるんだ……」と、私は正直驚いたものである。私は、親切な同僚に囲まれながら、残業もほぼする必要がなく、のんびりゆったりと仕事をさせてもらった。しかし、8か月ほどその天国にいると、疑問がふつふつと湧き上がってきた。

「私はここで一体、何をしているのだろう?」
「このままでよいのだろうか」

それまで、自分の限界に挑戦し続けていた私である。よく言えば、職場になじんできたともいえるだろうが、天国は私にとって「ぬるま湯」に変わりつつあった。「この状況を何とかしなければ」と危機感を感じた。何とかしなければ、私がこのまま「ぬるま湯」に埋没してしまう気がした。

折しも、働き方の多様化の波を受けて、会社が副業を解禁し始めたところだった。私はこのチャンスに飛びついた。民間の資格を取得し、許可を得て、副業としてセミナー講師を始めた。
これが、私の世界を一気に加速させた。

理想の自分は現在の延長線上にいるのか?時には歩みを止めて考えたい

副業の世界で出会う人たちは、とてもとても自由だ。みな自分の名前でビジネスを起こし、個性をいっぱいに表現し、お互いに学び合い、認め合っている。
そして、自分のライフスタイルを自分でデザインし、自分が働きたい時間に働き、休みたいときは休む。私は、心底その人たちに憧れた。
そして、その世界を知ってしまったら、もう後戻りができなくなった。
だから決断したのである。会社を休職すると。

私は今、フリーランスとして活動している。まだ開始してわずかな期間ではあるものの、毎日が私らしく、ワクワクした気持ちに溢れていて、最高の選択をしたと確信している。
考えてみれば、公務員だったら絶対にできない活動である。だから、公務員を辞めたことは、より私らしい生き方に近づくための通過点でしかなかった。
公務員の「不適合者」だって?最高じゃないかと、今なら堂々と言える。

だから、これを読んでいる人が勤め人として歩みを止める日が来たら、それは決して人生の停滞や、ましてや終焉を意味するものではない。きっと自分がどう生きたいのかを考える貴重な機会を与えられているのだ。

だから、じっくり歩みを止めてみたらいい。理想の自分がどこにいるか、現在の延長線上にその自分がいるかどうか、考えてみたらいい。

もっと自分らしい人生にギアチェンジしよう。そうしてまた、本当に自分らしい道を見極めて、歩き出そう。