私は旅行が好きだ。特に夏に旅行する解放感は格別だ。

中でも一番忘れられない旅行がある。2年前、26歳の時に初めて行った海外一人旅だ。

きっかけは、その3ヶ月前に始めた英会話教室だ。当時、結婚前提で付き合っていた人と別れてひどく落ち込んでおり、何か気を紛らせようと英会話教室に足を運んだ。そして、その教室の壁に貼られた、一枚の大きな世界地図に目を奪われた。

ディッピンドッツアイスクリームみたいな、カラフルな丸いピンで埋め尽くされた世界地図。教室の生徒が訪れた場所にピンが刺してあるのだという。それも、一人旅が大半だとか! インド、ボルネオ島、ギリシャ、ブルガリア……特別治安の悪い地域以外は、ほとんどの国にびっしりとピンが留められていた。

一人で海外旅行をするなんて、「安全第一の私には無理」と思っていた

私もここにピンを刺してみたい! 急激に込み上げてきた興奮を押さえられず、心拍数が一気に上がるのを感じた。「そうなんだ。行けるんだ……!私も行ってみたいな」そんな私の独り言を教室の皆は聞き逃さなかった。「どこに行きたいの?都市?ビーチ?歴史、建築、食文化、何を観光したいの?」と、わっと矢継ぎ早に質問が寄せられる。

私は「と、とりあえず南国のビーチかな」と答えた。夏だし。何か楽しそうだし。そんな浅い理由で思いついた海外南国ビーチへの一人旅が、数分間であっという間に現実味を帯びていく。

安い航空券の買い方、宿の取り方、現地の美味しい料理……山のようなアドバイスのメモを両手に握りしめ、その日のレッスンが終わると興奮が覚めないままに旅行代理店の窓口へ直行した。

そして、その場でタイのプーケット島行きが決定した。ゴールデンウィークの初日に出発。4泊5日の南国ビーチ旅行だ。こんなに思い付きで行動に移したのは、生まれて初めてかもしれない。

航空券とホテルの手配はしてもらえ、飛行機に乗って現地へ着くまでは自力。到着後は現地の案内役のお姉さんが主要な観光地をバスや船で案内してくれる。それ以外は、全部自由行動。

国内一人旅ならよくしていたけれど、海外へは一度も行ったことがない。飛行機に乗るのも中学の修学旅行以来だ。ついに。ついに行っちゃうんだ私! 夏の力なのか、旅行の力なのか、失恋したことなんて面白いくらい瞬時に頭から消えた。

強烈な日差しと海も空も青くて花は鮮やかで…目に染みるほどの色彩

そして、いよいよ当日。雪国の夏は遅い。5月はまだ肌寒く、桜もまだちらほら咲いている。そこからたった4時間半。降り立ったタイのプーケット島は、サングラスがなければ目を開けていられないほど強烈な日差しで溢れていた。

透明なガラスを何枚も何枚も重ねて、光を閉じ込めたような目映さ。眩しい! 今まで生きていた中で一番光を浴びているのでは? 思わず太陽を見上げると、目眩がした。暑さも強烈で、5分外を歩いただけで全身汗だくになる。深呼吸できない程の熱気と湿気。高温多湿の夏には慣れているつもりだったけれど、東南アジアの真夏は日本の比ではなかった。

ホテルに着くと、濃厚だけどさっぱりとした甘い香りが漂っていた。朝市を歩けばレモングラスやココナッツ、ナンプラー、名前を知らない数々のスパイスの香りが混然一体となって迫ってくる。

海も空もあまりに青くて花は鮮やかで、目に染みるほどだ。サングラスを何度もかけたり外したりして、色を確かめる。サングラス越しでも鮮やかなのは十分見えるけれど、本物の強烈な色彩を確かめたくなる。外して色を確かめ、眩しくてまたすぐかける。何度も夢中になって繰り返す私を、現地のお婆さんが笑う。

一人旅の解放感や興奮、内側から湧き出てくる熱気は私に勇気をくれた

観光地化して生活費がどんどん上がり、共働き必須になったこと、水不足で地元の住人は朝夕の限られた時間しか水道を使えないこと。星付きホテルはプールもシャワーも使い放題なのに……。

英語で飛行機の遅れをアナウンスするCAに、「日本語で話せよ、話せるくせに!」と大きな声で文句を言う中年の日本人男性。出稼ぎに来ている貧しい身なりの労働者達。あの人々の生命力、生きるのに必死な熱気は、現地に行かなければ決して知ることはなかっただろう。

あれからちょうど2年。今の私はあの頃と真逆の状況にいる。けれど、あの時の解放感、興奮、わけもなく自分の内側から湧き出てくる熱気は、2年たった今もはっきりと覚えている。そして、鬱々と引きこもりそうになる度に、あの時の光景、必死に生きる人々を思い出して勇気を貰っている。

重いコートを羽織った春秋や、雪に閉ざされた冬だったら、一人で海外へ飛び出すなんてできなかったと思う。夏は身も心も軽くなる。やっぱり、夏の旅行は最高だ。