ずっと、何もない地元が嫌であった。
私は、北海道の東、オホーツク海に面する町で生まれ育った。人口は5千人。一歩外に出れば、ほとんどの人が顔見知りであった。
そんな町は、すべてが必要最低限しか存在しない。スーパーが1つ、コンビニが3つ、病院が1つ、小学校と中学校が1つずつ、高校は私の2つ上の学年で廃校といった具合だ。バスも汽車も、1日7本しか走っておらず、次のバスや汽車が5時間後、休日ならば8時間後の時間もあるほどだ。
どこを見ても畑、畑、畑――。
いわゆる「田舎」と呼ばれる場所であった。

何もない地元が嫌で、思うような生活を送れる「都会」の横浜へ

そのような環境では、私の思うような学生生活は送ることができなかった。学校帰りに、友人とご飯を食べに行ったり、ゲームセンターに行ったりしたかった。恋人とお買い物に行ったり、カフェに行ったりしたかった。
どれも、私の町では叶わなかった。
ずっと、何もない地元が嫌であった。

高校を卒業した私は、横浜の大学に進学した。地元の友人のほとんどが道内の学校に進学している中で横浜を選んだのは、田舎育ちの私にとって、横浜は憧れの土地であったからだ。
何でもある横浜は、素晴らしかった。
私は、横浜で一人暮らしを始めた。人口は372万人。一歩外に出ても、顔見知りはいない。
そんな街は、すべてが選びきれないほど存在した。スーパー、コンビニ、病院、小学校、中学校、高校……。いくつあるのかわからない。バスも電車も、1日何本走っているのか。
どこを見ても人、車、建物――。
いわゆる「都会」と呼ばれる場所であった。
そのような環境では、私の思うような学生生活を送ることができる。学校帰りに、友人とご飯を食べに行ったり、ゲームセンターに行ったりできる。恋人とお買い物に行ったり、カフェに行ったりできる。
どれも、横浜では叶えられる。
何でもある横浜は、素晴らしかった。

都会生活でわかった、人々が「北海道フェア」を開催し、訪れる理由

横浜での生活も、2年目に突入した。そこで、最近気が付いたことがある。
――都会の人々は、北海道に興味を持っているのかもしれない。
横浜での生活で、「北海道フェア」が催されているのを何度か見たことがある。私が地元で普通に見ていた北海道ならではのものが、たくさん並べられているのだ。
北海道の食べ物がおいしいということはよく聞いていた。「北海道産の牛乳使用」など、「北海道産の」と書いてある商品もよく見かける。しかし、北海道の食べ物がおいしいと実感したことはなかった。
そんな私は、地元を離れて少し経ったとき、北海道の食べ物のおいしさに気が付いた。
私は、地元で野菜を買ったことがほとんどなかった。農家の友人が、形が良くなくて売れない野菜を食べきれないほど届けてくれていたからだ。
毎日とれたての野菜を食べていた私は、横浜のスーパーで買った野菜の味に驚いてしまった。横浜のスーパーで売っている野菜を批判したいわけではない。単純に、こんなに違うものかと。相当おいしい野菜を食べていたのだと初めて知った。
都会の人々が、「北海道フェア」を開催し、訪れるのもわかる気がした。

私は都会の人々からすると、特別な空間で幼少期を過ごしたようだ

また、横浜育ちの友人のほとんどは、北海道について、教科書やテレビでの情報しか知らなかった。そしてなぜか、うらやましいと言ってくれた。それもあってか、北海道での日常を話すと、とても盛り上がった。
北海道では、キツネが普通に町に出るんだよ。道路とか、学校のグラウンドとか、家の庭とか。
「かわいいって?そんなわけないべさ。キツネはエキノコックス持ってるし」
「え?エキノコックス知らないの?キツネから感染するんだよ。だから、小学校で検査したりするんだよ」
「キツネはコンコン鳴く?いやいや。だから、そんなかわいくないよ。夜になると、女の人の叫び声が聞こえるの。今にも殺されるみたいな。それが、キツネの鳴き声」
「車で走る時は、シカに注意しないと。衝突事故が起こって――」
「町にクマが出て、集団下校になることもあったよ。クマに会った時は、逃げちゃダメで、目をそらさずに――」
「冬になると、流氷が来るの。海が流氷で埋め尽くされて、陸みたいに見えて――」
こんな話が、本当に盛り上がる。
私にとっての日常が、横浜の人々にとっては新鮮なのだ。私は都会の人々からすると、特別な空間で幼少期を過ごしたようだ。

憧れの土地の人々が買って食べる地元の食べ物。憧れの土地で育った人々がうらやましいと言ってくれる地元での暮らし。興味を持って聞いてくれる地元での体験談。
何もない地元が少し好きになった。