街について考えることが好きだ。
思えば15歳くらいから、10年以上、ずっと、考えている。
埼玉の一都市、しがない東京のベッドタウンである街に生まれたわたしにとって、初めて意識的に考えた街は東京だった。
世界の中心と思っていた地元から、知らない街東京へ繰り出した10代
10代というのは、独力で行くことのできる場所がどんどん増えていく時間だ。それまで世界の中心と思っていた地元の駅は、実は私鉄しか通っていない目立たぬ場所で、そこから3、40分電車に揺られて着く新宿や池袋のもっと先に、知らない東京の街が広がっていることに気づいたのはティーンエイジャーになった頃だった。
そこからのわたしの行動は早かった。
東京タワー、浅草寺、竹下通り、六本木ヒルズ、皇居、上野公園、明治神宮、神保町古書店街、お台場、火が付いたように様々な場所に行った。
お小遣いでできることは限られているし、当時は大人たちに混じって飲食店に入ることひとつ取っても気後れしていたので、何をするともなく、電車に乗っては至るところを歩いていた。
それが楽しかった。自分が住む街の、延々と住宅街が続く景色と違い、街場と暮らしのコントラストがあり飽きなかったし、わかりやすくきらびやかに飾りつけられているもの、粛々と歴史を語っているもの、どちらを見ても興味深かった。
一方、地元の街で過ごした記憶はその頃以降希薄である。中学から都内の学校に通っていたこともあり、わたしにとっても文字通り「ベッドタウン」になっていたのだ。
他の街の良さを知り、東京は「今もそこにいる友人たちに会う街」に
大学に入ると、魅力的な東京の街を一緒に探検する友人もでき、アルバイトの稼ぎでもう少しお金を使う楽しみ方もできるようになった。相変わらず東京という街はわたしにとって興味の対象であり、好きな場所がどんどん増えていった。
時間にも縛られなくなり、夜通し街を歩いたことも一度や二度ではない。どこかに行けば何かがあるし、誰かがいるし、何かをしてもしなくても、とにかく楽しい、そんな街だった。
転機は大学卒業後に訪れた。縁あって大阪と山梨に住み、初めて実家を離れた。
関西の文化・雰囲気の違いや、田舎暮らしの景色の良すぎる日常はわたしにとって新鮮なことばかりで、東京の外にもまだまだ知らないことがあるというのに気づいた。何でもかんでも東京がナンバーワンというわけでもないのかもしれないし、人によって自分の暮らしに合う場所というのは千差万別なのだろうと思うようになった。
そこからわたしは東京への興味を急速に失い、もっといろいろな場所に住んでみたいと思うようになった。そうして東京はわたしにとって、ただ「今もそこに留まり続ける友人たちに会いに行く街」になった。
淡い期待を胸に地元に戻ったけど、現実はやはり「ベッドタウン」
しかし、そんなわたしの気持ちとは裏腹に、2021年初頭、東京異動が決まり、久方ぶりに東京で過ごす日々へと舞い戻った。東京に住むメリットを見出せなくなっていたわたしは一先ず実家に戻り、もうすぐ8ヶ月が過ぎようとしている。
実は淡い期待があったのだ。大人になった今地元に戻ったら、当時は知らなかったことがあるかもしれない。もしかしたら地元を盛り上げようとしている面白い同年代がいたり、かつてはなかったその土地ならではのスポットができていたりするのではないか。20代のうちに一度地元に戻るのは、案外良いタイミングなのではないか、と。
しかし現実は、やはり「ベッドタウン」なのである。
駅周りが再開発され、駅ビルのラインナップがおしゃれになっても、それはリトルトーキョーを生み出しているのと同じで、「この場所である理由」が皆無だ。結局地元に何も見出すことができず、都内の会社に通うため実家に住んでいる。さらに東京に対しても、他の街の暮らしを知ってしまった今、思い出の中の良さだけが際立って、自分にとって現在進行形の街ではなくなってしまったことを突きつけられた。
愛着以外の気持ちを、いつかふるさとに持つことができるだろうか
むしろしていることと言えば、リモートワークの合間や休日に北関東や甲信越へと足を伸ばし、ひとときを過ごしながらその街について考えること。かつて東京の街が自分にとってそうであったように、好きな場所が増えていく一方であり、とびきり楽しく、嬉しい出会いも多い。自分の居場所は東京の近くではないのだなぁ、ということを痛感している。
それでも東京はまだ思い出の中での良さがあるから良い。未だ世間に残る東京一辺倒の雰囲気を苦々しく思うのも、裏を返せば東京の街に関心がある証拠だ。
対して地元についてはどうだろう。生まれ育った街、自分の親や祖父母も暮らした街、という愛おしさはある。けれどそれはなんらかの意見というより愛着でしかなく、つまりわたしはこの街に対して何も思っていないのではないか、と気づいたのだ。
好きの反対は無関心。どこかで聞いた言葉がよぎった。愛着以外の気持ちを、わたしはいつか自分のふるさとに対して持つことができるだろうか。その時はこの街が自分にとって単なる「ベッド」ではなくなる時だと思うのだが……。