いくらでも、夢ならあった。
だからこそ迷った。
大学生の頃は、降りかかってくる憧れや、理想を端から端まで見て回って、ぶつかれそうな壁なら全部に突進していった。
同級生たちは卒業後、普通に就職して、普通にインスタグラムに映え写真を載っけて、普通に恋愛ソングで笑って泣いていた。
なんとなく、納得いかなかった。誰でも一度は感じる「自分は特別なのでは」という漠然とした自分への過度な期待のためだろう。
漠然としているが故、ミュージシャンにも小説家にも、画家にも、ファッションモデルにでも、なれるものならなんにでもなりたかった。
小説家からミュージシャンになった話は聞かないが、ミュージシャンが小説家になって有名になった例ならある。ミュージシャンなら画家にもなるし、ファッションモデルにもなっている。
そんな不純な理由でギター1本をぶら下げて、上京した。

紹介で始めた喫茶店バイトを辞めた。理由はジュースの量が違うから

地元で働いていたチェーンの喫茶店の東京支店に話をつけてもらい、アルバイトもすぐに始めた。
しかし、ジュースの量が違うので辞めた。
「やっぱり甘ちゃんだ」「そんなことにケチつけてバイトを辞めるのか」そう言われた。
だけど私にとって、2人組の客が頼んだドリンクの量がきっちり同量であることは重要なのだ。
お客さんの間柄にもよる。
上司と後輩なら?上司が頼んだドリンクが少なければ後輩の居心地は悪いだろう。
親子なら?なぜお母さんの飲み物は少ないの?と子供がアイスクリームの乗った普通より高価なドリンクを注文したことを後悔したら?
想像力だけは高かった。
次のバイトの日をすっ飛ばした。
酔っ払って携帯を失くして、その頃付き合っていた男の子の家で不貞寝を決め込んでいた。
「バイトはいいの?」と聞かれたが、「ドリンクの量が一緒じゃないから行かない」と言うと、「なんかわかるな~」と言ってくれた。
二人でサンダルを突っかけて家から5分の喫茶店に入った。カウンターとテーブル3席の小さな喫茶店。
携帯もなく、暇を潰せず、ただボーッと窓から見える景色を眺めていた。特に喋ることもなかった。出会って1ヶ月。

「コーヒーもすぐ出るよ」。言葉に愛想がなくても、誰でも嬉しい一言

お腹が空いていたのか、黙って日を浴びながら、何も考えずにいられた。
カウンターで奥さんがナフキンを三角に折りたたんでいた。マスターは手際良く木のプレートに茹で卵、サラダ、トーストを盛り付ける。何も言わずに奥さんがテーブルにモーニングを運んでくれた。「コーヒーもすぐ出るよ」。
特別愛想がある訳ではない、でもその一言があるのとないのとでは全然違う。これからバイトの若者でも、今日バイトをすっ飛ばした若者でも嬉しい一言。
綺麗なコーヒーカップにいい香りのコーヒーがたっぷり満たされていた。
ソーサーに乗せられたスプーンで茹で卵を叩いてヒビを入れる。
全部殻を剥いたら元の場所に戻して、トーストにかぶりつく。トーストの味を忘れないようにしながらサラダを一口。苦くてほのかに甘いコーヒーをすすると、大きなため息が出た。幸せだ。
「バイト辞めたんでしょ、一息ついてる場合か?」と彼は笑った。
「バイト辞めた日に、行こうと思える喫茶店ってかなりかっこいいね」と私は冗談のような本気で彼に言った。
他にお客さんは誰も居なくて、店内のBGMも聴こえないぐらい、朝日が眩しくて、どうしようもないくらい晴れやかな1日の始まりだった。

それから1年後、喫茶店を始めた。誰もが平等に、均一に楽しめる場所

それから1年後、2人で喫茶店を始めた。
阿佐ヶ谷の小さな喫茶店。
仕事をさぼった人も来るし、学校をさぼって笑ってる奴も来るし、DVから逃げてる女の人も、赤ちゃんを抱えた、今にも泣き出しそうなお母さんも。
その全員をあの日の私のように幸せにできたのか、わからない。
だけどこの店の中だけは時が止まった空間でありたいと思って、今日まで働いてきた。弱音を吐いても、愚痴をこぼしても、失恋しても、時が止まればそのひと時だけでも、忘れられる。
モーニングを運んで、「コーヒーもすぐ出ますから」と一言添える。
夢はいっぱいあった。でも、人と触れ合うのが一番好きみたいだ。
好きなことはいっぱいあったはずなのに、ずっと続けられたのは接客だけだった。ずっと誰かに憧れを抱くように、ずっと誰かを見ているのが好きなのだ。
気がつけて良かった。親にもいっぱい心配をかけた。「ミュージシャンなんかになれっこない!」と親は怒鳴った。言う通りだ。ずいぶん遠回りをしたようだ。
みんなが平等に、均一に楽しめる場所を作ることが楽しい。だからドリンクは同じ量を入れる。
ドリンクと同じ目線になるように膝を曲げて、今日も「よし」と指差し確認。

応援してくれるお客さんを応援したいから、いつもと同じコーヒーを

世界はコロナ禍というとてつもない渦に吸い込まれている。
あの時、弱音を吐いていたお客様は、私たちを応援してくれる。
「大変だろうけど、頑張ってね」なんて言わない。
ただ変わらずに来て、たまに近況を報告しあったりする。
何も言わずとも、いつも通り来てくださるお客様でも、1人1人が応援してくれているように思う。どれだけ大切なことなのか思い知らされる日々だ。
私もお客様を応援したいから、いつもと同じコーヒーをいれたい。
おこがましくも、ここが故郷のような場所になってくれればと願う。
去っても戻っても、ずっと留まっても、どっちでもいい場所。その人が決める場所。ずっと変わらずにいること。簡単なようでむずかしい。経営もいっぱいいっぱいだ。次々と降りかかる憧れや、理想に目移りしていた頃には考えられなかった事だろう。
だけど、今となっては端から端まで見て回った音楽も、小説も、ファッションも絵も、全部無駄にはなっていない。
おかげで色んな人が集まる楽しい店になった。

店には一つだけルールがある。それは質問しないこと。職業や年齢、性別を聞かない。だから自ずとカルチャーやファッションの話題になっていく。趣味がなくたってニュースの話をする。見かけや役割ではなく、最初から内面を見られる。
色んな人の夢や目標を知ることができた。
画家になりたい、仕事があともう一息だ、漫画家になりたい、早起きして散歩を続けるんだ、留学したい、カメラマンになりたい......。
全部全部すごいことだ。眩しくって嬉しい。
「じゃあ、有名になったらウチを雑誌のインタビューで使ってね」と言う。そしたら笑って、「いつになるのやら!」と笑い返してくれる。
いつになっても、ならなくても、ずっと待っていたい。と思う。