私のふるさと、と言われて思いつく場所はない。
幼い頃から父の転勤で引っ越しが多く、たくさん引越しをした。
私自身も学生時代に留学を経験したり、大学の寮に1年だけ入ったり、就職してからも好奇心のままに新たな土地を希望したりと、これまでに住んでいた住所はもはや覚えていないほど、たくさんの場所で暮らしていた。
埼玉、兵庫、愛知、兵庫、京都、アメリカ、兵庫、青森、栃木……次はどこへ行こうかなと、ワクワクしている。
551の豚まんを食べたい。記憶に残る、電車内に漂う豚まんの匂い
私の中で「帰る」という言葉を使うのは、ただ1つ、「兵庫」と決めている。
理由は単純で、一番長く住んでいた場所であり、関西弁を話す私にとってアイデンティティの一部であるからだ。
しかし残念ながら、ここ2年ほどは関西に帰れていない。
2年も経つと、次関西に帰ったら何をしようかなと考え出してしまうことが多い。
そんな中で、最近突然ある欲求に駆られている。
「551の豚まんを食べたい」
これまで551の豚まんが大好きで何度も食べた、というわけではない。
我が家で定番だったわけでもない。
美味しいことは知っているし、何度か食べた記憶はある。
自宅の最寄り駅に店舗があり、毎日その前を通り過ぎていた。
そういえば、夕方には決まって行列ができていた記憶もある。
それから、特に記憶に残っているのは、阪急梅田駅から自宅の最寄り駅まで帰るときに
あの神戸線の電車内に漂う551の豚まんの匂いだ。
各電車に一人は必ず購入者がいたのではないか、と思わせるほどであった。
「551の豚まんがあるとき」のCMの情景が浮かび、この人は今から家に帰って家族と一緒に豚まんを食べるんやろなあ、と微笑ましくなる。
関東のどこかで551の豚まんが食べられる場所がないか……ない
このCMの情景は果たして関西以外の人には伝わっているのか、定かではないが、そんな広告戦略に、まんまとはまっている自分が滑稽に思える。
と同時に、今こんなにも551の豚まんに想いを馳せ、食べたくなっている。
調べてみた。
栃木で、いやせめて関東のどこかで551の豚まんが食べられる場所がないか。
……ない。
なんということだ。
あれほど毎日店舗の前を通っていたのに。
関西にしかない、とんだレア物であったのだ。
先に教えて欲しかった。
関西にいた頃にもっと食べておけばよかった。
毎日素通りしていた当時の自分が悔やまれる。
私も阪急電車の車内を、豚まんの匂いでいっぱいにする犯人になっておけばよかった。
「551があるとき」の情景を思い浮かべて、ニヤニヤしながら家族に豚まんを買って帰ればよかった。
関西に帰れず2年。次は551の豚まんを買って祖父母に会いに行こう
関西を離れて3年、帰れずに2年が経った今更ながら、「551の豚まんがあるとき」でお馴染みのあのCMと、だいたいどの駅にもあるコンパクトなあの店舗と、購入者の紙袋の中から車内に漂うあの美味しそうな匂いに私の欲望は刺激されていた。
私は決意した。
次関西に帰ったら、祖父母に会いに行くとき、梅田駅で551の豚まんを購入してから阪急電車に乗って祖父母に会いに行こう。
同じ車両に乗り合わせた見知らぬ人たちに対して、マスク越しに551の豚まんの匂いを感じさせながら。