「羽田空港に着くと、帰ってきたな、と思うようになったわ」
同じ時期に上京した友人から、こんな言葉を聞く機会が増えた。
高校を卒業してから早7年。私はそこまで東京に馴染めずにいる。

東京はふるさとには勝てない。でも私にはふるさとに帰れない理由がある

東京はとても面白く、刺激的な街。渋谷スクランブル交差点では1回の青信号でふるさとの人口の半数が行き交う。「今暇? 会おうよ」なんて会話は、時刻表なく乗れる電車が可能にしてくれる。「大掛かりな旅行」ではなく「休日の一コマ」的感覚で、大好きな舞台にも足を運べるようになった。行っただけで夏休み明けのヒーローになれた夢の国も、こちらの学生にとっては放課後の選択肢の一つらしい。

人、モノ、情報が絶え間なく交錯するこの環境のうまみを、私は存分に享受している。
それでも、東京はふるさとに勝てない。そればかりか、機上から夜景を見るたびに拒絶感は増していき、いつまでここに住むことに耐えられるかなと考えてしまう。この感覚はこの先も変わらないだろうという気がしている。

そもそも以前は、好きとか嫌いとかの前に、ふるさとには就きたい職がないと決めつけていた。でも昨今はそうでもない感じもする。
それなら帰ればいいじゃん。

どっちがいいか結論は出ているのに、二の足を踏む理由はどこ?
何度もそう考えた。でもやっぱり私はふるさとには帰れない。というより、帰りたくない。どんなに愛していても、ホームシックになったことは一度もないことがそれを証明している。
私は、ふるさとにいたころの私が大嫌いなのだ。

習い事が優先の日々。「ちゃんとした人間」がアイデンティティに

私は幼少期から上京する3日前まで、ある習い事をしていた。生活に占める割合は、もはや習い事の範疇を超えていて、物心ついたときから、何をするにもそれを第一優先する生活だった。

優先するというのは、単に時間だけではなくて、価値観においてもそうだった。文字通り人生の全てだった。

敬語を使うといいことがあると、年中のときに理解した。

小学5年の冬、「人の家にお邪魔するときはどこでコートを脱ぐべきですか」と問われて、ここで間違えたら人生終わるなと思った(一か八かで答えたら正解だったので終わらなかった)。車の中に忘れものをしたことに気がついて、泣き叫びながら母の車を追いかけた。家庭科の教科書の巻末にあった「マナー講座」の部分をボロボロになるまで読んだ。

習い事の先生は礼儀作法にとにかく厳しかった。でも、社会に出たときに役立つと教えられていたから耐えられた。自分はちゃんとした人間だということを一番のアイデンティティにしていた。

しかし上京後、その誇りはあっという間に崩れ去った。バイト先で「挨拶がなっていない」と信じられないような指摘を受けて思い知った。14年積み上げてきたと信じていたものは、何も身についていなかった。先生に対しては完璧にできていたのに、なぜ?

いつか私は、ふるさとに「帰ることのできる自分」になりたい

生きるために必死で身に着けた見せかけの礼儀は、応用が効かなかった。それどころか、先生の目から解放されて、私は何もできなくなった。大学にも、バイトにも、部活にも行けなくなった。
だって先生が見ていないから。怒られないから。ここまで他人の目に支配されていたとは。自分には何もない。新生活は絶望的と希死念慮に覆われたところから始まった。

今は、自分を大分取り戻せたと思っている。でも、未だにマナー本と格闘しながら先生に手紙を書いてしまっている。
こんな調子なので、ふるさとに戻れば一瞬で自分が散ってしまう気がしてならない。習い事の記憶を消してふるさとで生きていくのは、今の自分には難しい。

飛行機の窓から見える、パッチワークのような大地。
だだっ広い畑の真ん中を行く一本道。
遠くにたたずむ青白い山脈と抜けるような青い空。
地平線に沈む夕日を臨むことのできる、ログハウス調の実家。豊富な海と山の幸。
何時間でも話せる友人。過去を彩るたくさんの思い出。

私はふるさとに帰りたい。帰ることのできる自分になりたい。