あの夜の私は人生で一番潤っていた。にもかかわらず、はっきりと覚えているのは心斎橋でキャリーケースにもたれかかって漠然としている自分だけである。
余韻に浸りながら、友達に支えてもらって夜行バスまで歩いた道を、生涯忘れることはないだろう。

その夜、私は初めて生で推しを見た。数ヶ月前に当選のお知らせが来た時、どれだけ喜んだかわからない。1年前に彼らにハマった時から、ずっと夢見ていたことであった。
当選日時は、最推しの誕生日公演であった。遠征であり、状況も厳しい中ではあったし、家族からもあまりいい顔はされなかったが、それでも行くことを決めた。それは出不精な私が動くには十分すぎる理由であった。

彼らのライブ配信は青天の霹靂で、初めてアイドルを推そうと決めた

その夜からまるまる1年前、彼らの配信ライブをみて、人生で初めてアイドルを推そうと決めた私はこの1年間、ズブズブとオタクという生き物に成っていった。それまでの趣味はお笑いやヒップホップやバンドなど、アイドルとは無縁の日々を送っていた私にとって、そのライブは青天の霹靂であり、運命さえも感じるような日であった。
彼らのスキルはとても好きではあるが、上手な歌を聞きたいのであれば、プロのダンスを見たいのであれば、アイドルを見る必要なんてまるでない。彼らにしか歌えない歌、彼らにしかみせられない大きな力が、そこには確かに存在していたのである。
なぜアイドルという職業が色褪せずに消えず、今も栄えているのかという理由が、その日言語化できないなりにもはっきりと体感的にわかった日であった。
それからずっと彼らを追って、彼らの素晴らしさについてTwitterで語り尽くして、雑誌もグッズも買って、どんどん沼にハマっていって、彼氏も出来たことがない20歳の女の楽しみがこれでいいのかはさておいて。
それでもコロナ禍のクソつまらない学生生活においては、私の唯一の楽しみであったし、心の支えであった。#小見出し

おおげさに見えるかもしれないが、出会えてよかったと強く思った

アイドルに心を突き動かされた人間とそういう経験が全くない人間では、どちらが多いのだろう。後者の経験を持つからこそ、適切なタイミングやきっかけがなければ、前者の気持ちが全くといっていいほどわかりえないことは重々承知である。
このエッセイが、もし後者の人の目に触れることがあったらこいつは何を言っているんだろうと思われてしかたがない。ライブに行ったことをおおげさに伝えているかのように見えるかもしれない。

とにかく私はその夜、初めて生で推しをみた。生で見た彼はやはりどうしようもないくらい大好きで、かっこよくて、わたしに無限の力をくれて。この人を推してよかった、間違えてはいなかった、この人にこの人たちに出会えてよかったとそう強く思った。
肝心の内容に関してはもはや何も語れないくらい、記憶がない。あのたった1時間や2時間、私の視界に推しがいたあの時間。もう戻れないとわかっていても、いまでもふと戻りたくなってしまう。

あの夜のことを思い出すことが、自分の中でとても大きな力になる

私がまた彼に会うことがあるかは、正直わからない。今の私は一生を掛けて推すくらいの覚悟ではあるが、人の心は流動的で、いまのこの気持ちが永遠に続く保証なんてないからだ。
残酷なようで現実である。そして私は現実も見なければいけない。
この後の私に立ちはだかる壁は、就活や恋愛や社会人としての自分や、想像もしえない恐ろしい敵である。それでも、あの夜のことを思い出すことが、自分の中でとても大きな力になることは、これからも変わり得ないとおもう。

あのライブにいって、本当によかった。
あれは間違いなく私の中で“忘れられない夜”なのである。