私は、小学生の頃から、感想やアンケート記入などが得意で、紙にびっしり思いを乗せていた。大人になり、特技を考えた際「文章を書く」ことだと改めて感じ、特技を活かして収入や経験に繋げていきたい、と思うようになった。
実は「かがみよかがみ」に投稿し始める前にも、2回程、エッセイコンテストに応募した。どちらも入賞は逃し、参加賞の図書カードが送られてきたのみだ。だが、自身が書いたエッセイを、誰かに見てもらい、評価されることは、ありがたく、不思議な感覚だった。 

かがみすとになってから、できる限り投稿しよう、と心に決めた  

以降、心から書きたい!と感じるお題や、エッセイ投稿専門の媒体がないか、インターネット検索をした。そしてある日「かがみよかがみ」を発見した。
「私が探していたものは、これだ」と、ビビッときた。賞金や入賞を目標に、努力できる点。同世代の、全国のかがみすとの作品を、鑑賞し合うことができる点。そして、編集の方が一読し、評価して頂き、今後の糧にできる点。もっと早く出会いたかった、と思う程だ。
かがみすとになってから、できる限り投稿しよう、と心に決めた。中には、自分の経験や語彙力、発想力が乏しく、なかなか書き進められないお題もあった。壁にぶち当たった際は、違う角度から物事を捉えたり、エピソードをいくつか考えて、1番しっくりくるものの内容を膨らますことに尽力した。
ある日、久々に、小学校からの友人に会う機会に恵まれた。約2年振りの再会だったため、時間の許す限り、沢山話をした。
当時、お互い27歳で、将来の夢、ライフプランなどの話をした。その際、私はエッセイを書き始めたことを、告白した。友人及び他人に、私がエッセイを書いて投稿していることを話すのは、初めてのことだった。

素敵な言葉を使って褒めて応援してくれる友人の存在に、改めて感謝

「彼女の知らない私」を伝える際は、少し緊張した。過去の経験を基に、文章にするエッセイを書くのが好き。私の文章を読んだ人の感情が動き、読み終わった後に、前向きな気持ちになってもらえるような、エッセイストに、いつかなりたい。無謀かもしれない夢や目標を語るのは、挑戦でもあった。だが、彼女はすぐに
「エッセイ書いてるの?すごいじゃん。頑張ってね」
と、笑顔で返答してくれて、背中を押された。
彼女とバイバイし、2ヶ月経過した頃、私への誕生日プレゼントを、彼女は郵送してくれた。プレゼントの中には、手紙も同封されていた。「エッセイを書いていること、知らなかったから驚いたけれど、素敵な才能だと思った」「人間の表現力って、すごいし、感動するよね。あなたにしかできない、心に響くことをして欲しい」と、メッセージを贈ってくれた。
素敵な言葉を使って、褒めて、応援してくれる、友人の存在に、改めて感謝した。そして、30歳の誕生日直前までしか投稿できない、期限付きの「かがみよかがみ」。そう遠くないゴールテープを切るその日まで、精一杯のエッセイを綴っていこう。そう心に誓うことができた。

どんな人生を送るかは、意識と行動の変革を行うか否かにかかっている

だが、生活するには、現在の仕事も、こなすしかない。エッセイ投稿を優先したい気持ちがあるものの、職場での人間関係や、仕事へのモチベーション低下など、精神的ダメージを強く受けてしまい、丸1ヶ月の間、エッセイを投稿できない時期があった。現状打破するには、どうしたら良いのか。今も模索中だ。
だが、時間はすぐに過ぎていき、明日はやってくる。コロナ禍も相まって、気持ちが塞ぎがちになる。どんな人生を送るかは、自分自身の意識と行動の変革を、思い切って行うか否かに、かかっている。ふと、社会での辛い経験さえも、エッセイでは、ネタにすることも可能だ、と発想の転換をした。そして、私は再び、かがみすととして復帰した。
時間を捻出し、もっと影響力や説得力がある、エッセイを書けるようになりたい。自身の可能性を信じ、友人の応援を味方に、これからも一つでも多く、作品を投稿していきたい。