私には、二十歳の時から追いかけ続けている『推し』がいる。私が人生で初めてお金を払って会いに行った――言い換えるならばライブに行ったのは『推し』だ。生まれて初めて新品のDVDを買ったのも、生まれて初めてファンクラブに入ったのも、グッズを買ったのも『推し』に関するものだった。
どんなことがあった日でも、私にとって『推し』は救いだった
社会人になり、胃から血を流しながら仕事をした日も、おじさんにセクハラをかまされて心が折れそうになった日も、私には『推し』がいた。DVDを一日中垂れ流し、甘いものを食べていると「かっこいい」しか考えられなくなる。それが、私の救いだった。
『推し』は、私の好みではない。背が高いわけでもないし、インテリ系ではないし、口は悪いし、中性的ではない。髪の毛は明るすぎる茶髪だし、サルエルパンツを履きたがる。それなのに、どうしてこんなにも私の心に住み着くのだろう。
一度だけ、ライブの最前列に当選したことがある。一緒に行く友人に報告がてら「私のことは幸運の女神と呼んでもいいわよ」と言ったら無視された。
そしてこんな幸運二度とない、運を使い果たして車にひかれるかもと思っていた矢先、ライブへ行く夜行バスに私は乗り遅れた。ライブには間に合ったものの、プラスマイナスゼロになって命は救われた。
『推し』は件の女性と結婚した。私には友人から励ましの声が届いた
最前列で見た『推し』はかっこよく、最前列にもかかわらず一度も目は合わなかった。二酸化炭素くらいは、交換できたかもしれないが。
そうして数年が過ぎ、コロナが流行する少し前のライブで、『推し』は誰かと別れたような言葉を発した。私の眼(強度の乱視)には、『推し』の瞳に何かが光った気がした。
――彼女と別れたのだ。
そう思わざるを得なかった。『推し』には数年前から仲が囁かれている女性がいて、おそらくそれは本当だった。私は別れろとまでは思っていなかったが(身の程をわきまえているファン)、やはり女性の影は苦しいものがあった。
そしてその約三か月後、『推し』は結婚した。件の女性だった。私はそれを、友人からのLINEで知った。その日、普段私に頻繁には連絡をしてこない友人たちから続々と励ましの声が届いた。ちなみに母からも励ましの言葉が届いていた。
ライブに一緒に行っていた友人が、グループLINEで「ロスだわ~」と言っていたのに腹が立ち、「腐女子はすっこんでろ、私は夢女子だ」と訳の分からないマウントをとって叱られた。ちなみに彼女には、推しが複数いる。
結婚したくらいでは推すことをやめない。今日もを追いかけている
私は人生の約三分の一を共に過ごした夢を失った。
私が貢いだお金(DVD代、チケット代などなど)は『推し』だけのものではなくなり、私は『推し』の奥さんをTwitterでミュートにした。恨みはないが、見たくないものはあるのだ。
それでも私は今、推すことをやめてはいない。真に愛する心を持っているならば、『推し』が結婚したくらいでは推すことをやめないと思ったからだ。
推すことをやめることができない私は、『推し』の次なる裏切りがいつ公表されるか恐怖に震えながら、片田舎に生息して、今日も『推し』の姿を追いかけている。