外に出て、新しい刺激を得ることが好きだ。芸術、文化、人、食、出会ったものすべてで私はできている。そこからインスピレーションを受けて、まったく違う視野を与えられたような感覚が心地よくて、時間ができたら旅に出るようになった。
大学生の時は長期休みを上手く使って、各地方にいる友人を訪ね歩き、一か所に何泊もする事が多かった。社会人になって長期の休みが取れなくなって、それでも何とか三連休を取って東北や京都、富山の祭りに駆け付けた。
自分が普段いない場所の空気は新鮮そのもので、胸が高鳴り、景色を留めたくて目を爛々とさせながら記憶のページに刻み込み、全身で空気に浸った。
「もうダメだ、限界だ」。プライベートが犠牲になる苦痛な日々
そんな自分にとって2020年の一年はとても窮屈で、刺激がない日々が苦痛以外のなにものでもなかった。祭りがない、遠出ができない、人にも会えない。
この世の地獄を味わった人は私だけではないだろうが、半年以上続いた自粛生活で秋には体に影響が出てきてしまった。原因不明の微熱、全身痛が発生。明らかに心因性だった。
「もうダメだ、限界だ」。有給を使って二週間ほど休みをもらい、実家の稲刈りと、馴染みの寺院の参拝、どうしても会いたかった友達家族に会いに行った。多少の息抜きにはなったが、遠出はまだ禁物な時期だったので、行動にはやはり制限があった。
新たな刺激はないまま休暇は終わってしまって、もやもやが色濃く残った。子ども達の生活を支援する仕事だったので、自分がもし感染の原因になったら……ずっとそんな心配がある中でこれからも仕事をして、唯一呼吸ができるプライベートを犠牲にし続けるメンタルの強さは私にはなかった。
仕事を辞めて、長めの旅に出た。北海道ではアイヌの地を巡った
翌年、三月末で仕事を辞めた。田植えが終わったら長めの旅に出ようと、春からゆっくり計画を練り出した。
まだまだ、感染の危機は脱していない日本で、どこかに移動するには絶対的にリスクがある。場所も選ばないと。東北、北海道に向けて車旅をする事にした。
6月の末、埼玉、新潟という日本海側を北上していくルートでスタートし、山形、秋田、青森と本州を上って車ごとフェリーに乗って函館に入った。
毎日4時間前後車を走らせたが、北に行くほどに独特な景色になり、雄大な自然の力強さを肌で感じていた。
北海道の旅の前半は、アイヌの地を巡るための旅路にした。このご時世なので大きな期待はしなかったが、幸いにも期待以上に出会いにとても恵まれ、行く先々で出会う人、文化、景色、食、どれもみんな刺激的で毎日興奮しっぱなしだった。
中でも二風谷と阿寒湖のアイヌ関係の人々は話の波長がとても合い、コーヒーをいただいたり、バックスペースに招いてくれたりした人もいた。皆さん質問したらなんでも答えてくれて、「これを求めていた!」と私の探求心アンテナがビンビンに立った。
「もっと知りたい」が叶った。自然との距離感を自問自答できた旅
旅の目的でアイヌを選んだのは、もんもんとしていた前年の秋に必然的にアイヌの映画と出会い、自然との独特な距離感が不思議で「もっと知りたい」と久しぶりに大きな好奇心が湧いたのがきっかけだった。
思い返せば、自分のこれまでの人生でアイヌについて考える機会は度々あったのだ。最初のアイヌのとの出会いは小学四年生ごろ。アイヌの少年が出てくる漫画・アニメを知ったことで、日本にも独特な民族が存在していたことに驚いた。
それからなんとなく頭の片隅にアイヌが存在し続けること数年。今度は高校三年生の修学旅行でアイヌの地を巡るコースを直感的に選んだ。短い期間だったがアイヌゆかりの地を巡れて、ようやく目の前でアイヌを感じることができ、「なんて不思議な民族なんだ」と感動した。
それからさらに十年、今度はゴールデンカムイという漫画・アニメに出会って「アイヌってこんなに素敵な思想の民族なんだ!」と思った。いつかちゃんと知らないといけないと、勝手な使命感に駆られた。
でも、社会人だとなかなか身動きが取れず行動に移せなかった。それを大きく後押ししてくれたのが、秋に出会った映画だったのだ。
今こそ、しっかり自分の目で耳で、肌で知る時だ!旅に出よう!!
仕事を辞めてからそれがようやく叶い、新しい刺激を得るたびに、北の地に来た甲斐があったと泣きそうなぐらい感動した。自然と人間の距離と共存が、近年の自然災害や地球温暖化で課題になっていると痛感していたところに、自然とちょうどいい距離感で関係を作ってきたアイヌがいたことを再認識できたのだ。
いや、もしかしたら人類皆、本当は保ってきたはずの自然との距離感を忘れてしまっただけで、アイヌに限った距離感ではないのかもしれない。そんなふうにも考えるようになった。
アイヌでは「すべては天からいただいたもので、いつかは返すもの」と考えられてきた。狩猟採取で得た動食物を食べる時、道具が壊れてしまった時など命が終わった際、人間でいう葬儀のような事をする(毎回ではないが)。それを神の世界に「返す→送る」と表現するのだが、命を粗末に扱ったり、儀式を疎かにしたりすると、もう天からの恵は降りてこないと考えられてきた。
日本独自の文化である食事の前の「いただきます=命をいただきます」の言葉に近い感覚でもある。アイヌが独自の文化と思想を発展させたのは事実だが、北海道の北、ロシア系の民族にもアイヌと似ている生活や文化があることが博物館等を巡って学べた。
きっと、どの民族も根本は皆同じなのだろう。命を大事にし、奪いすぎず、自然からいただいたものを無駄にしない、原始的だが新しくも思えるサスティナブルな生活様式。大きく遠回りをして、現代の人類はそこにまた辿り着いたのかもしれないと思う。
2021年もまさに自然との関係を問われているような自然現象が少なくない。今回の感染症もあながち例外ではないだろうと、私は思っている。
旅では、今後の自分たちの生き方を自問自答していかないと、自然の怒りを買うことにことになりかねないと教えをもらった気がした。