『元気』のためにしてること」のテーマでも書いたが、エッセイを書くことは、私にとって、元気の源だ。エッセイをまとめ上げることで、達成感を得られるが、それに加えて、エッセイを書いた後に感じることを3点挙げたい。

エッセイを書く前は、タラレバ思考の堂々巡りが止められなかった

まず始めに、エッセイとして考えをまとめることで、悶々と考えることが減った。文章に綴る前は、過去のもやもやを思い出しては、「あのときこうしていれば良かったのだろうか?」と考えることが多かった。

特に恋愛に関しては、相手に対して、本当はどう思っていたのかなどは、関係が終わってしまってからは、答え合わせをすることができない。そのため、どうすれば仲は上手くいっていたのか、「あのとき積極的に動いていたら……」「もっと彼の好みを研究していれば……」というタラレバが始まり、思考の堂々巡りが止められなかった。

そのもやもやをエッセイに綴って投稿してからは、不思議なことに思い出すことが減った。過去のできごととして、捉えられるようになったからだと考えている。

エッセイを書くにあたって、できるだけ詳しく、そのときどう思ったか、どういう気持ちだったのかを思い出し、整理して文書にすることで、客観的に見れるようになったことが大きいと思う。

自分の価値観で物事を判断し、自分を肯定できるようになってきた

次に、編集部さんからいただく感想が毎回楽しみであることだ。私の体験や意見に共感していただいたときは、私だけがもやもやしていたことではなかったのだと、安心した。

また、これから目指して行きたいことなどを、エッセイの終わりに綴ったときには、「素敵ですね」といった前向きな言葉で褒めてくださるので、背中を押してもらった気持ちになる。同時に「エッセイを書いて良かった」と思えるのだ。

最後に、改めて過去を振り返ってみて、周りの人に支えられていること、過去の経験が今の自分を作っていることに気づいた。学生時代のことを題材にして、思いを綴ることが多かったが、それぞれのエピソードで、友人や家族の支えのありがたみを感じた。

友人たちは、自己肯定感の低い私に対して、「すごい」であったり、「尊敬している」と褒めてくれた。ありのままの私でいいと背中を押してもらったことで、自分の価値観で物事を判断し、自分を肯定できるようになってきたと感じている。

また、家族はずっと無償の愛でサポートしてくれた。これまで不自由なく部活、勉強、留学などに取り組むことができたのは、ひとえに娘のやりたいことを尊重してくれた両親のおかげだ。私も親になったときには、同じように育てられたらいいなと思う。

過去のもやもやを昇華し、前を向いて進んで行くためにエッセイを書く

過去を振り返り、現在の自分の考えを足して、一つのエッセイとしてまとめ上げることは、爽快感や達成感を生む。

もちろん、書きたいことがまとまらなかったり、エピソードとして味気なかったりと1,500字程度にまとめることに悪戦苦闘することもある。

コンプレックスを味方につけることはまだまだ難しくとも、過去のもやもやを昇華し、前を向いて進んで行くために、私はこれからもエッセイを書くだろう。